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荒野にての海のレビュー・感想・評価

荒野にて(2017年製作の映画)
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これはわたしだ。これはわたしの映画だ。わたしがもしも長い時間を得て、映画を一本撮ったとしたら、きっとこんな映画になる。猫と暮らし始めて間もない頃、きれいなはちわれのせまい額に、指でハートマークを描いて、「これは人間の世界では、愛してるを伝えるマークなんだよ」と教えた。好きな映画に出会うたびに、わたしはこの記憶を思い出す。かならずあそこへ戻っていくように、忘れず戻っていけるように、わたしは一日に何度も後ろを振り返る。前へ走る足を止めて振り返る。彼と同じように。三年前の秋の終わりに一匹の猫がうちに来た。名前はベロニカ、わたしの一番好きな花の名前を付けた。雪国生まれの大きな猫だった。何となく立ち寄ったペットショップで眠っている姿を見たときに、一時間近くそこから離れられなかった。今までに見たどんな生命よりもきれいだったから。その日の夜中は、わけのわからない感情のために泣き続けた。それから何度もあの猫はまだ居るだろうかと立ち寄った。決して誰にも媚びようとしない海のように深いグリーンの瞳がわたしを何時間でも釘付けにして、しっかり伸ばした立派な胸は、聖母のそれのように思えた。ある時、突然、この猫に雪を見せてやりたい、と思い立って、一度は「もうこの子は親猫にするから売れない」と断られながらも、それでも今思えば本当に運命だったと思う、長い時間すれ違い続けてようやく、わたしは猫を買った。あの日わたしは、自分の口座に入っていたなけなしの貯金全額を手放した代わりに、きっとこの世のすべての美しさと愛のみなもとであろうベロニカを、宇宙で唯一の酸素ボンベのように大切に大切に抱きしめたんだった。冬が近づくこの世界の空気が、心地よくて気持ちよかった。おもえばいつも祈りのような気持ちだった。明日雪が降りますように、元気な子どもが生まれますように、あのひとが長生きしますように、一緒に幸せになれますように、目を閉じて指を重ねて一心にそれらを願うときと同じだった。わたしにとって、あのたった一匹の売れ残りの猫が、世界で唯一の教会だった。ねえわたしは、とてもやさしい人間だけれど、それと同じくらい本当にひどい人間だよ。わたしは自分が苦しい時だって、きっと相手の方が苦しいかもしれないと思ってだいじょうぶと嘘をつくし、言いたいことがある時だって、きっと相手は言いたいこと何一つ言えないだろうからと思って黙り込む、ペットショップがそこに生まれ落ちた全てのいのちにとってどんなに酷い場所なのかを知っているのに、その場所にお金を渡していのちを買い取った、今日も明日も明後日も大勢の犬や猫が殺されているのを知っているのに、まだ生活の保証はあったろうたった一匹の猫のいのちを選んだ。わたしはいつも、傷つけないようにすることによって、傷つけてしまうことがこわい、でも自分がそれを避けられないことの重みにはたえられない、情けないのどうしようもないほど。いつも泣きそうなのに、いつも泣けない。「どうしてこうしてくれなかったの」「どうしてあのとき居てくれなかったの」「どうしてあんなこと言ったの」それを何度くりかえされたって決して嫌いになれないひとが、わたしには、この世界にほんの少しだけ居る。それは母で、妹で、母の最愛の恋人で、わたしの忘れられない好きなひとで、一番古い友達で、一番仲のいい親友で、疎遠になってしまったあの子で、抱きしめて「泣かないで」って言ってくれた美術の先生で、この想いを守るためにわたし、いったいどれだけのことを犠牲にし続けてきたんだろう。もっと甘えていいんだよと、時が経てば忘れられるからと、まだまだ人生は長いのだからと、ひとは言う。でもそれはわたしに、一切関係ないんだよ。会いたいと思うあなたの生命が、世界にたったひとつしかなかったように、感情は透明にふくらむあの一瞬の間だけしかひとをさらってはゆけない。過ぎてしまったらもう二度と同じようには泣けないし怒れないし傷つけないし感じられない。どんなに綺麗な終わりでも、訪れてしまったのならもうそこで終わりだ。ただ何かたった一つを守り抜くという、それだけに生命を掛けるという、あの想いの尊さが、わたしのできる中で一番正しいことだった。それ以外に、胸を張れることなんてない。怖いときや痛いとき誰かに頼れないわけじゃなくて、誰にも渡したくないだけだ。幸福も喜びも奪われるのなら、せめて精一杯悲しんで、苦しんだ、それをあなた一人のために捧げたい。誰かが思ってくれる以上にわたしはくだらないし情けないし可愛くもないしかわいそうだよ。21年も生きているのに猫より誰かに愛されるのが下手だし、21年しか生きてないのに人生を無念だといつも感じてるし、夢と現実の区別さえ完全につかない上に、きれいごとを都合よく信じる時もあれば、怒って泣き出す時もあるし、やさしいぶんだけひどいし、黙ってるぶんだけずるいし、救いようのないくらい子供で、馬鹿だよ。
でもわたしは、温かいよ。

2019/10/6





高校3年生の時、卒業文集のために「ベロニカ」というタイトルの詩を書いた。まだわたしがベルと出会う前だ。育てていたベロニカのオックスフォードブルーに向けて書いたけれど、今はベルのことでも同時にあるような気がする。

美しいものとはあまりに無邪気に
まっすぐにふりそそぐものだった
愛を諦める理由は
きっと愛しかないのだ
愛とはどんなだと思う、ベロニカ
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