山本

新感染 ファイナル・エクスプレスの山本のネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

冒頭、車を走らせる男が、大通りを走り抜ける救急車を見て(何かあったのかなあ)と訝る。パニック映画の定番の導入だ。「ゾンビ映画は売れないから配給会社はゾンビという言葉を広告に入れない」といわれているが、本当にそうなのか。我々はじつはゾンビを求めてるんじゃないか……そう思わせる映画だった。

ゾンビがドアに押し寄せて圧でガラスを割るところとかは、今までになかったゾンビの新たな地平を切り開いた感がある(あんまり詳しくないけどこれって昔からあったのか?)。加えてゾンビが暴れ狂うシーン全般における「フレームレートが下がった感」の演出なども、スペックの低いハードでモブ敵がフラッドした際の処理落ちを再現してるみたいで個人的にグッときた(伝われ)。

しかし映画の主題はどちらかというとヒューマンドラマに重心が置かれている。パパが最後型落ちした電車から落ちるシーン(影を移すことで間接的に死を暗示している)とかは不覚にも涙が出たよね。さらにこういう泣かせるシーンで露骨に悲しげなBGMを流すあたりも、いわゆるゾンビ映画のセオリーとは一線を画している。人によっては冷めると思うかもしれないが、それがいいんだな、これが。

ゾンビといえばショッピングモールというのは「ドーン・オブ・ザ・デッド」以来の伝統であり、そのクリシェは「高度消費社会における人間は死してなお消費の戯れに興じるのだ」といった批評的言説を呼び寄せたが、その流れでいうとなぜ「新感染」は電車が舞台なのか。なぜゾンビとのバトルフィールドを電車に設定したのか。まあ、たぶん「前に進むか後ろに戻るかしかない」という行動の制約がスリルを生むからという理由が一番なのだろうが、そこをなにか深読みすることはできないか。なぜ今になってゾンビは電車に来たのか。そこらへんの問題が韓国で検討されたりしてないかな、と思った。
山本

山本