レオピン

十三人の刺客のレオピンのレビュー・感想・評価

十三人の刺客(1963年製作の映画)
4.2
ついに来たか

濃霧の中 馬のひずめの音だけが聞こえる 獲物の数は53騎 迎え撃つのは13人

集団抗争時代劇。これが画期的だったのは当時は綿密な計算による華麗な殺陣が主流だった。だがそれではどうしても真剣で斬り合う迫力や混乱の生々しさは生じなかった。よりリアリズムを追い求め手持ちカメラを入れ演技ではない迫真の姿を引き出した。

『300』ではスパルタ軍は集団密集陣形ファランクスをとって槍衾を作ったが、こちらも同じように狭い宿場町を要塞・迷路へ改造してそこで敵を虱潰しにする作戦に出る。

これを銃に置き換えたらそのまま深作さんや呉宇森の映画にもなる。殿様を守りながら狭い通路で斬り合う姿に、特に『男たちの挽歌Ⅱ』のクライマックスを思いだす。
比べると、
ティロンが千恵蔵でユンファがアラカン。レスリーチャンのキットは里見浩太郎で
西村晃はあの無口な殺し屋だな

西村晃はそれぐらいいい仕事をしていた。剣に全てをかけた浪人。七人の侍の久蔵タイプ

オリジナル脚本だが決戦までの話の運びが上手い。導入は老中邸の門前で明石藩家老が抗議の切腹をする場面から始まる。これを受け老中・土井大炊頭利位が動く。演じるのは丹波哲郎。幕閣Gメンのボスからの秘密暗殺指令。しかし幕府ってのも陰湿だ。将軍の異母弟を排除するために手段を選ばない。これはCIAが某国の体制転覆を企てて元首の暗殺をやるのと同じようなもの。既に大統領の決済もおりているのだと、命令は大佐、いや目付の千恵蔵に下された。

ここで普通の軍人の作戦と違うのは、成功したとしても彼には死罪が待っているという点。大義名分の徳川の世では秩序を乱す者は何人たりとも許されない。死が約束されたミッションなのだ。そんな男の下に命を捨てる覚悟の12人の侍が集まった。

抒情的なものを抑えて職能としてのサムライの姿を淡々と描く。

ただその中でも里見浩太郎の新六郎。放蕩三昧でヒモのような暮らしをしていたが、侍として生まれた自分の身を一度思う通りに使ってみたいという気になる。戦ばたらきをして死ぬという武士の本懐を遂げられる機会はそうあるものでもあるまい。叔父さんの弾く三味線の音に鮮やかに心の変化を描く。

この話の舞台は弘化元年(1844)。既に泰平の世が200年続き侍として生きることが絵に描いた餅のように見えた時代だ。またそろそろ幕末の足音も聞こえ、さまざまな束縛ルールの中で武士はがんじがらめで生きていた。そんな時代の侍の鬱屈みたいなものを感じる。

宿に足止め食らっている時、突然の雨にここぞとばかりに裸になって水を浴びる侍、その筋骨隆々の上半身がたぎっている。やたらと金に細かい侍もいたが彼も借金を全て帳消しにしてこの世の未練をすっきり晴らしてから参加した。全員がこの一戦に自らの生まれてきた理由をかけ戦いにのぞんだ。

明石藩の鬼頭半兵衛に内田良平。香港でいうと呉鎮宇か任達華か テストステロン高め顔
尾張藩の牧野に月形龍之介 息子と嫁を奪った仇に一矢報いて切腹する。こっちは見事なしょうゆ顔

片岡千恵蔵 嵐寛寿郎 里見浩太郎 時代劇はやっぱり顔だ 顔のデカさだ。
この人たちは多分あの顔のままでランドセルしょって大きくなったに違いない。顔がもうできあがっている。 

お主も侍の一分が立たぬであろう 
武士は相身互いとばかりに宿敵を思いながらこれでいいといって死んでいく。

死なんとして戦えば生き 生きんとして戦えば死す
この時34歳、工藤栄一が東映京都で叩きつけた殴り込み名刺のような1本。

脚本:池上金男
音楽:伊福部昭

⇒12代将軍 徳川家慶の治世(1837-1853)
播磨国明石藩8代目藩主 松平斉宣(なりこと)  先の将軍家斉の26男で家慶の異母弟にあたる。参勤交代中に3歳の幼児を切り捨てたため、尾張藩の怒りをかい通行を拒否されたという映画のまんまの不行跡の説。どうもモデルはこの殿様らしい。20歳で病死。10万石にこだわり。
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