ベルサイユ製麺

君の名前で僕を呼んでのベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

君の名前で僕を呼んで(2017年製作の映画)
4.3
評論家の話を聴いても、ビジュアルの断片を見ても、それこそレビューを読ませていただいても、どういう方向性の優れた作品なのかが上手く把握出来なかった。
実際に観て合点がいきました。これは言葉に置き換えられない。悩ましさしか無い世界。

極上のマナー、センスと技術で描き出された、この上なくシンプルな、人類の美のイデア。愛のムード。浸るしか、浴びるしかない。それか目を合わせないようにするか…。

…しかし吾輩、醜い人間モドキなので、おもいっきし俗に書き連ねますがね。イッヒッヒ。

基本的に“愛する”って感情は、全て自己愛の振れ幅の中に存在していると思っています。自分と似てるから好き。自分が持ってないものを持っているから好き。あの態度は好きになれない(≒好きになれる態度になってほしい)。自分が嫌い…。自意識のど真ん中に自己愛の結晶としての“自我”がそそり立っていて、それと他者の中に見出した“魅力的な自我のパラレル”との差異を(相互的に)埋める為に、例えば干渉して捻じ曲げたり・自分を他者と同化したり・どうかしたりして、そうやって上書きを繰り返して振り幅内の密度を高めて、自我を太く、完全に近づけて行くといのが抗い難い愛の性質なのだと思うのですだよ。何言ってんの?うん、書いてて分からん。

ここから更にひどい妄言↓
思うに、人間は完璧に近づくほど他者を必要としなくなるのでは無いだろうか?自分には、この作品はそんな風にして孤独になっていく人達の話に思えてしまいました。物語には基本的にベラボーに頭の良い人達しか出なくて、彼らは完璧に近い自我のまま、厄介な共依存を巧みに避けている。或いは危険なゲームとして共依存ごっこを楽しもうとしている。そんな残酷な世界の入り口に立ち、来たるべき本当の寂しさの予感に触れ、落涙してしまうまでの過程に思えた。芽生えた瞬間に死に向かう営み。普通は殆ど一生かける工程を、聡明すぎるが故に若くして熟れて、甘酸っぱさが極まった状態。その、青春の死臭を嗅ぎつけハエ供が狙っているんだぜ。ブンブン。
あー、馬鹿で良かった。全然自分のことが分からない。お陰でいつまでも間違っていられるよ☺︎

ここから映画と関係無い↓
自分が今のところヘテロであるのは、単に自分の近辺にオダジョーや『アジョシ』の時のウォンビンみたいイケメン神が居ないからだと思っていたのだけど、よく考えたらノンケでもそんなのに迫られたら堕ちるに違いない。
どうしようもない馬鹿だけど、いつかは自分が何者なのかは知りたいものです。それで結果凄く苦しむことになっても、人と触れ合うのが怖くなったとしても、自分はアプリコットには走らない!それよりですね!自分がやってみたいのは、養蜂用の巣箱に入ってる蜂蜜がコッテリ入ったハニカムシート。アレを繋ぎ合わせたギガ・ハニカムに裸でビターンと体当たりしたい!ゆっくりズルーっ…と落ちたい!

なんだこのレビュー。最低だな!自分でもガッカリです。

…弟に対する嫉妬心で道を違えた兄。2人の哀しきすれ違いを描く作品はどうかしら…?
タイトルは『弟の名で俺の名を言ってみろ』。

「心の傷が疼くたびに、お前への愛情を燃やし募らせて生きてきたんだ…」
「ジャギ、ジャギ、ジャギ…」「ケン、ケン、ケン…」
兄さんには地獄すら生ぬるいよ。うおお、なんたるBrothers Love!!この世紀末救世主伝説が観たい!!