ねこ無双

マリオ・バーヴァ 地獄の舞踏のねこ無双のレビュー・感想・評価

4.5
多数の有名映画監督フォロワーを生んだと言われるマリオ・バーヴァが、なぜ存命中は正当な評価を得られなかったのかを紐解くドキュメンタリー。
常にホラーの先駆者で、色彩の魔術師であった。

今回のコメンテーターとして、
ティム・バートン監督、ジョン・カーペンター監督(ダリオ監督のドキュメンタリーにも出てた…笑)、
ジョー・ダンテ監督…錚々たる面々が出演。

ฅ (ↀᴥↀฅ) و
例によってここからはバリバリネタバレで駆け足な内容だけど超長文。
自分用の記録+ちょっとだけ所感。
めっちゃバーヴァ監督に興味あるわぁ〜という方だけどうぞ!
という全く個人的趣味レビューです(✧Д✧)✨

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マリオ・バーヴァは、映画の特殊効果の仕事をする父に影響され、映画に携わっていくようになる。
リカルド・フレーダ監督と共同でイタリア初のホラー映画『吸血鬼』『カルティキ』を発表。
その後、初単独監督作品『血ぬられた墓標』を発表し、評判となる。
この成功でハリウッドから声がかかるも、なんと英語が不得手で断念。
(渡米して成功したかといえば疑問だけど)

ティム・バートンの『スリーピー・ホロウ』は『血ぬられた墓標』に強く影響を受けた映画。
参照映像を見るとほんとに似てるシーンがあって驚く。馬が駆け抜けるシーンは『ブラック・サバス』のもろ2話目!

優れた特殊視覚効果もバーヴァ映画の特徴のひとつだったが、
アカデミー視覚効果賞受賞歴のカルロ・ランバルディ(エイリアンやE.Tなど)もバーヴァに影響を受けたひとりで、今の私の礎と彼は語る。

他にもマーティン・スコセッシ監督の逸話。
スコセッシの『最後の誘惑』の1シーンがフェリーニに影響されてると批評されたところ、スコセッシは否定し、影響されたのはバーヴァの『呪いの館』だと訂正したと言う。
私もホラー映画を撮ると言い出したほどだったスコセッシ監督。
もしかしたらスコセッシのホラー映画なんてものが観れる世界線もあったのかもしれない。

ジョー・ダンテ監督は、自らの作品の1シーンをバーヴァオマージュし、そこだけ浮いてしまったと苦笑いして語っていた。
(なんて映画なのか知りたい!)

『血みどろの入り江』にそっくりだと言われる『13日の金曜日』
語るのはまさしく13金のショーン・S・カニンガム監督。
80年代のホラー映画作家は少なからずバーヴァの影響を受けていると。

そしてキタキター!
待ってました。『リサと悪魔』をプロデューサーが改変公開した『新エクソシスト』!
普段穏やかなバーヴァとプロデューサーとの間に珍しく撮影中言い争いが起きたという。
そして、テリー・サヴァラスの棒付き飴の謎も…

そして、『エイリアン』に影響を与えたとされる『バンパイアの惑星』。
これは関係者の発言では無いから真偽不明な感じはしたけど、ビッグバジェット(巨大企画、潤沢な資金)のリドリー・スコットに対し、バーヴァに用意されたのは限られた資金だけだった。

バーヴァは凄く陽気な男で暗い側面はなかったという。
死を描く理由について孫(彼も映画監督)が語るには、人生で確かなのは生と死の二つだけだ。みんな生まれる時は同じだけど、死は誰も語らないが興味深く美しいと。そこにみんなが好きな愛を加えてみたんだと。
凄く意外でした!作風からすっかりどこか変態味のある変わった人なのかと勝手に想像していたので…

バーヴァ自身は信仰心が厚いキリスト教信者。
『血みどろの入り江』で虫をピン留めする1シーン撮影の前日は、虫がかわいそうだと言って眠れなかったという。

高い評価をされるタイプの映画を撮らなかった事も軽視される一因だったのではないかと。つまりホラーは軽視されがち。
イタリア人は元来ホラー気質ではないという。笑いや愛の映画が好き。

ゴシックホラーを連発した後に、初のジャッロ映画『知りすぎた少女』を発表。60年代その頃イタリア映画界は西部劇が主流であった(もちろん西部劇もバーヴァは撮ってる)。
70年代に初のスプラッター映画『血みどろの入り江』を発表。

70年代後半は体調悪化により撮影本数も激減。75年にヒット作を出したアルジェント監督がスターとなっていく中、遺作となる『ザ・ショック』(76年)を発表。
そして、80年この世を去る。
奇しくもこの数日後にこの世を去ったヒッチコックは世間を賑わしたのに、バーヴァの逝去時はまるで騒がれなかったという。

偉ぶるのを好まず、映画を撮る理由を聞かれても、撮るのは楽しいし金までくれるからと語っていたというバーヴァ。
現在彼を慕うフォロワー監督の話を聞いても、偉ぶることは決して無いのではないかと思います。