常々映画を観ていて、宗教の問題ほど身近に感じにくいものはないのではと思っているのだけれど、清楚な修道女が叔父さんにちょっかいを掛けられ、貧しき隣人を屋敷に迎え入れるに連れて信仰心が仇になっていく構図はあまりに露骨すぎて観るに耐えないものだった。
さすがにレイプされたり身ぐるみ剥がれたりするほどまでの残酷さはなかったものの、最後の晩餐をモチーフにしてヘンデルのメサイヤをバックに乱痴気騒ぎというのは聖職者や信心深い教徒にとっては言語道断、苦痛以外の何者でもないというところだろうか。
無宗教な(とは言ってもキリスト教の学校に通っていたので無関心ではない)ボクにとっては、このカトリックに対する痛烈な風刺が、浴びせられた側の心情は想像の範囲を越えることがないのと同時に、そのアイロニーを投げかけなければならない事情もまた同じようにさっぱりわからない。
観終わってから調べてみると、長く亡命していたブニュエルが独裁者フランコに招聘されて、祖国に凱旋して放ったのがこの作品。
恩を仇で返すように、カトリックの崇高な精神である「慈しみ」「憐れみ」を冒涜するという暴挙に出るほどにキリスト教を非難したのは何故なのか。単なるおちゃらけとして笑い飛ばすにしてはタチが悪いような気がしてしまうのだけれど、これって普通に楽しんでおけばそれでよいのだろうか。
そうだとすれば、かくも多くの登場人物を個性豊かに描き分け、印象的なシーンを連発するほどのとても高品質な作品である一方で、物語としての面白さはあんまりないので、パルムドール獲ったから見とかなきゃ!てほどに魅力的というわけでもないことを白状する。やはりこの痛快な感じがグッと来ないとダメなんだろうなぁ。
バックボーンなんぞに頼らない好き嫌いも大事だけれど、なんでこんなもの作ったのかを知っておくことも大切なのだ。たぶん。