この映画の持っている前後編からなるシュールな二面性の持つ意味を鑑賞中はずっと考えあぐねていたのですが、名曲「家族の風景」を聴きながらプロローグとエンドロールがこの物語の全てだったのだと気がつくと監督の術中に見事に嵌められたのだと思って「やられたぁ…。」と呟いていた。
自分の話で恐縮だけれど、僕も既に父を亡くしている。その最後の日々は人生で味わった事のない地獄だった。今も綺麗事だけでは語り切れない傷跡が確かに胸にある。 けれども少しの骨と灰になってしまった父を見た時に何かが涙と一緒に流れ出てしまった。
その秘密の喪失感を映画が代弁してくれた気がして、変な話嬉しかったし悲しかった。
火葬場の装置の最後の扉が閉じてしまえば、後は1200度の炎が一切の未練を断ち切るようにご遺体は焼かれてしまう。
生前の思い出も悲しみバキバキと折られる焼け残った頭蓋骨を前にすればポキリと折れてしまう。その遣る瀬無い、言い様のない悲しみを映画にしてくれてありがとう。