■NOTES 本作は、私たちを高速道路(工業化あるいは資本主義化)に対して背を向けさせ、徐々に消えつつある田園風景を横目に、風車へと誘う。「これは小麦を工場に運んできた農民の姿である」というナレーションが入っているように、急なローアングルや空に向かってそびえ立つ羽根を映すそのカメラアングルは、風車を被写体の視点の一つとして捉え、我々に語りかける。「もう一つの機械、もう一つの風景」というナレーションが入るシーンでは、建設現場の近くにいる子供の姿と建設員が黙々と作業している様子が対照的に映し出されているが、それは非人間的であると同時に、人間的でもある(人間によって人間のイメージの中で作られているため)。それは、ある意味では動物学的な種のように存在し、その背景と融合し、自然がそれを包摂している状態とも捉えられる。劇中では、最初に人工物を切り離し、そしてそれを「自然」な環境に「戻す」。機械ともう一人の観察者によるこの自然化の工程は、工業風景の「複雑」で、逆説的な美しさを含んだロメールの旅を加速させる。これらのシークエンスは、「自然」が持つ不可分性と構築された現実について、映画が問題提起し続けていくためのプロローグでもある。(Margulies, Ivone「The Changing Landscape and Rohmer’s Temptation of Architecture」『The Films of Eric Rohmer』p.161-175 より抜粋/翻訳)