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『そして光ありき』に投稿された感想・評価

一八
4.7
全編アフリカで撮影された、オタールイオセリアーニ監督による寓話的作品。
(『バニシングポイント4K』が観たい)

(用事で名古屋に寄るついでに上映中のミニシアターに行こう)

(時間帯間違えた!)
ということがあり、その代わりに上映してた本作を鑑賞。
鑑賞前は(題名が三浦綾子先生の『道ありき』に似ている)といった感じでどういう作品なのか全く理解できなかったが、ユーモアに溢れる作風にグイグイ引き込まれていった。

森林破壊が進むセネガルの奥地で暮らす原住民族を描いた物語。
本作最大の特徴は、登場人物が話す言語に字幕が一切ついておらず、たまに挿入されるインタータイトルや彼らの素振りで何が起きているのかを理解していくという、一種のサイレント映画に似た作風をしていることだ。
劇中ではその他にも楽器を叩く音で遠くの人とコミュニケーションをとるシーンがあったりと、現地の人でしか伝わらない独自のコミュニティが丁寧に描かれており、何を話しているのかはサッパリ分からないが、状況で大体は理解できるという、異国の地に始めて訪れたあの時と同じ感覚を味わうことができる。
近代的な重機と原始的な超常現象が同時に行き交いするリアルともファンタジーとも言えない不思議な世界観の中で、昼ドラあり、ライオンキングあり、ワニありなゆるい日常を映しながら物語は進んでいく。

※ここから先は少しネタバレ注意

本作は近代文明の侵食による環境破壊とコミュニティの消滅を問題視している一方で、原住民族の怪しげなしきたりに対してもやや懐疑的。
滅びゆく民族が文明に順応するコメディタッチなラストからは"環境や文化が破壊されたとしても人々は生き続ける"といった強いメッセージを感じた。

異質だけど置き去りにしない絶妙な演出が素晴らしい。
この映画に出会えて良かったなと心からそう思える傑作だ。

「この地に永遠に呪いあれ!」
4.4
 アフリカはセネガルの森に住むディオラ族は自然と共存しながら、未開の地で日々暮らしている。男たちが川で洗濯し、女たちは弓矢で鹿を狩るという男女の役割が逆の異色の村の風土がひたすらユニークだ。この村の3人の女たち、女祈祷師バディニャ、狩人の女ムゼズヴェ、怠け者の夫ストゥラと別れ、3人の子どもを連れてイェレと再婚するオコノロの生態を追いながら、一見自分たちと身なりの違うアフリカ人の生態から、イオセリアーニは我々の日常とまったく変わらない人間賛歌を導き出す。生首を身体に戻し、再降臨の瞬間を静かに待つ者がいる一方で、女たちは1人の男を巡って恋のさや当てを繰り広げる(ノー・スタントでいきなり放り投げられた山刀の刹那)。ワニに乗って川を下ったかと思えばどこかから流れ着いたタイヤを浮き輪代わりにしてどんぶらこと舟を漕ぐ。物語の構造は極めて寓話的な文明批判だ。トリクル・ダウンの要領で、一番川下に位置するディオラ族の村では白人による森林伐採の影響と恩恵とを同時にモロに享受せざるを得ない。すぐ隣で繰り広げられる文明的な暮らしは、平和で自然の秩序が保たれていた村の暮らしを脅かしているのだというイオセリアーニの警鐘なのだ。

 とはいえこの未開の地を扱った世界残酷物語の痛快な面白さは、ディオラ族の人々の人間としての生々しさに負うところが大きい。その姿は極めて漫画的に見える。男たちは川で洗濯し、女たちが狩りを行うという男女逆転的なディオラ族とはいえ、あまりにも働かず、寝てばっかりのストゥラの姿に妻は三下り半を突き付ける。SNSがない時代のメールならぬモールス信号には爆笑の嵐だし、ディオラ族の感情の喜怒哀楽のスウィッチはひたすら面白く、女たちは愛や性をあっけらかんと笑い踊り明かし、男たちはひたすら肩身の狭い思いをする。このディオラ族の風景は今の男女の生態を34年先取っていると言っていい。オタール・イオセリアーニの彼らを見つめる目は辛抱強く、決定的な映画に収めるべき瞬間をじっと待ちながら、演出的に彼らに演技させようとせず、あえて俗っぽいユーモアが立ち現れる瞬間をひたすら辛抱強く待つ。ジョージアでもフランスでもないアフリカはセネガルで撮られた異色作は、人間のリアルを見つめる。ジャン=リュック・ゴダールの『ウィークエンド』を逆再生したような感慨に浸る物語は、リューベン・オストルンドの『逆転のトライアングル』のようなことをもっとミニマムにもっと先んじて行うことに成功している。部外者が部外者のまま撮った映画でありながら、ここには確かにイオセリアーニの刻印が宿る。その圧倒的な世界観に打ち震える。今回の映画祭の21本の中でまずもって観るべき映画はこれだ。
3.9
【産業革新が齎す人間の流動性と組織の形骸化】
■あらすじ
セネガルの森に住むディオラ族。男たちは川で洗濯をし、女たちは弓矢で鹿を狩って暮らしている。女祈祷師のバディニャ、狩人の女ゼズヴェ、そして、怠け者の夫ストゥラと別れ、3人の子どもを連れて再婚するオコノロなど、それぞれの日常が繰り広げられている。しかしその一方で、白人たちによる森林伐採が進み、彼らの暮らす村にも危機が迫っていた。 ディオラ族の牧歌的な生活と、産業により文化が侵食されていく様を寓話的に描いた。1989年・第46回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞。日本では2023年2月、「オタール・イオセリアーニ映画祭 ジョージア、そしてパリ」にて劇場初公開。


■みどころ
牧歌的な営みが続く村に侵食し始める伐採機と産業のお話。
コミュニティがシステム・ルールによって統率が取られている事を如実に現していて、村の慣習より巨大なシステムで人間の流動性も慣習の形骸化・観光化に変遷するのが印象的。

産業の侵食を絶対悪として捉えずに、産業の利便性が人の流動性を産み出していく良さ・慣習を守る人々がいつの間にか社会のシステムに順応せざるを得ない生きづらさにも発展していくのが興味深い。
文化を形成していくのは人間であり、人間を順応するには文化・慣習・組織が求められる。
が、そこよりも便利で快適な文化・慣習を目の前にこれまで縛られていたものから緩みが発生し、流動的になっていく。
産業革新というシステムに対するゲームチェンジャーで男女の役割も衣食住も思想・信条も変わるのを鋭く描く佳作でした。

声高に産業が文化を破壊する趣旨ではなく、むしろ牧歌的な村の営みが無限に観れる一方でカメラワークで結構残酷な事やってるのが印象的でした。
同じカメラワークで村の変遷の変わり果てた姿を見せたりカットしてすぐに木が伐採されたり…こわすぎる。

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