ベルサイユ製麺

歓びのトスカーナのベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

歓びのトスカーナ(2016年製作の映画)
4.1
歓び、とは?

イタリア映画。主に心の病を持つ女性の為の療養施設が舞台。とはいえコンクリートの無機質なビルとかでは無くて、まるで避暑地の大型グループホームのような穏やかな雰囲気です。
主人公はブロンドで身なりの派手な50台位の女性ベアトリーチェ。高い身分の出身で有ると自称し、超ハイテンションで他の患者たちを仕切りまくる。どうやら双極性障害とか虚言癖等有るみたい…。しかも出自、かなりの訳ありみたい。
ある日、施設に入ってきた黒髪の痩せっぽちの女性ドナテッラ。あちこちにタトゥーがあり、恐らくは薬の影響も有りとても内向的で干渉されるのを嫌がります。
不幸にも、と言うべきかベアトリーチェと相部屋になったドナテッラは、彼女の度を超えたコミュニケーションa.k.a 土足の踏み込みに困惑しながらも徐々に心を開くようになります。…アッパー&ダウナー。最悪のスピードボールに思えるけど。ホントに大丈夫?オーバードーズしないかい?
…ある日、隙をついて施設から脱走した2人は盗難車で心の赴くまま走り出します。…心の、赴くまま?心の底を見せない、過去を語ろうとしない2人の逃避行は何処へ向かうのか。

とにかくやたら痛い映画だったなぁ。人によっては怒りだすかもしれませんね。コメディの体裁をとってはいるのだけど、笑いながら観るような物ではないし(イタリア映画特有)、邦題も大枠では間違ってないけど、雰囲気的には間違っている。歓びは、ほんの少し。でも確かにそれは有った。
ベアトリーチェのキャラクターが強烈です。時間・場所・状況をわきまえず喋りまくり仕切りまくります。周囲は彼女に振り回されっぱなしで、意思を強く持てないドナテッラはこっぴどい目に合います。最初のうち、いや…結構終盤までベアトリーチェの言動に苛立ちを覚えてしまったのですが、でもしょうがないのですよね…。それが彼女の闘い方なのですから。湧き上がる不安や疑念や暗い気持ちを、底が抜けたような明るさ(とアルコールとお薬と)で、ねじ伏せる。負けたらもっと深く落ちるのだから、今更何を厭う事があろうか。
どちらかといえばドナテッラの物語が映画の核になっていて、ひたすら内向的な彼女には思い入れがし易い印象です。冒頭のベビーカーを押すゴスっぽい服装の彼女の姿から何となく想像できるように、社会に適合する能力の低さが彼女を追い詰めてしまった。全てを取り上げてしまった。平均VS個性、世界VSひとり。自分がどちらに立つかなんて運次第でしょう。それで諦めるのか戦うのかは自分次第。

物語の大半はロードムービー的です。
二人は車中で
「わたしたちなにをさがしてるの?」
「しあわせをほんの少し」
「みつかるわけないでしょ」
と笑い飛ばします。
でもドナテッラは、最も誠実であらねばならない場面で「今より元気になれるところ」に行くのだとも語るのです。

無様で不恰好で、でも神聖なほどに輝かしいラストのビーチのシーンに何を想う?
普通とされるやり方で生きられない人が、それでも“普通”の幸せを、歓びを求める時、そこへの道筋が普通じゃなくてもしょうがないじゃないか。それを許容出来ないのなら、救いの手を差し伸べられないのなら、そんな手は棒切れ以下だ。社会なんて無くて良い。文明を棄て、奪いあい、滅べば良い。


かつて「重い方の病棟は嫌なんだよね。避けたいなぁ。」なんて呟いた親友は、今はなんとか一人で暮らせている。久しぶりに連絡をくれて新居に招いてくれた時、駅の改札で杖をつきながら大きく手を振ってくれた彼女の姿を何があっても絶対に忘れない。いつか自分が闘う時のために。