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しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイスのumisodachiのレビュー・感想・評価

4.0
公開時にかなり評判が良かったのに見逃していた作品。実在したカナダの画家モード・ルイスと夫との物語を描いている。

伯母の家で肩身が狭い思いをしながら暮らしていたモードは、子どもの頃から重いリウマチを患っていた。ある日、家政婦募集の張り紙を掲示する漁師エベレットを目撃したモードは、家政婦に志願。エベレットも渋々ながら了承する。かくして、偏屈で世捨て人のように暮らすエベレットと、不器用なモードとの奇妙な2人暮らしが始まった。

最初はエベレットに終始イライラされ、辛く当たられていたモード。しかし段々と家事にも慣れてきた頃、モードは家の中で見つけたペンキで壁に絵を描き始める。エベレットも特にそれを咎めはしなかった。ある時、休暇で町を訪れていたニューヨークの裕福な女性がモードの描く絵に興味を持ち、買いたいと申し出て……。

凸凹な2人がごく自然に一緒に生きるようになり、ドラマチックなことはなにもない中で結婚を決意し、次第に唯一無二のパートナーになっていく様子をとても丁寧に描いた作品。モードを演じるサリー・ホーキンスのリアルかつキュートな魅力と、粗野だが本当は心優しい不器用なエベレットを演じたイーサン・ホークの繊細な演技が光る。

朝から晩まで色々なところで働いているエベレットは、自分の代わりに家事を行う人間を探していた。しかし、結局のところ画家として成功していくモードのために、こまごまと家事を行う夫になっていくのがおかしい。モードはリウマチで身体が不自由だし元々器用に色々とこなせるタイプでもないので、絵を量産しながら家事を完璧にこなすのは無理なのだ。

口ではぶっきらぼうで冷たいことを言いながら、結局はモードの希望通りにやってあげるエベレットは究極のツンデレ。モードも彼の中にある優しさに惹かれた。そのことが一番よくわかるシーンが、NYの女性が彼女の絵を買いに家を訪れたシーン。最初はモードの絵を勝手に売ろうと交渉し始めたエベレットだったが、モードが本気でイヤがっているのを見て、「やっぱり売らない」とあっさり引き下がるのだ。これは、モードの意志を尊重した行動であり、今までモードが誰からも受け取ることがなかったリスペクトに他ならなかった。(NYの女性はそれまでもモードの才能を買っていたけれど)

私が考える《結婚において最も重要なこと》は、「しっかり話し合えること」だ。「あーもういい!」と対話を一方的に打ち切ったり、黙ってその場をやり過ごそうとしたり、威嚇して黙らせたり、「なに言ってるの?」とバカにしたり、「はいはいわかりました」と媚びへつらったりせず、しっかりと同じ目線で意見を交わせることが大切だと思っている。そして、それができる相手はそんなにいないということも知っている。

「しっかり話し合う」ためには、相手のことを認めていないといけないからだ。バカにしたり妄信することなく、相手を1人の人間として尊重していないと、相手の言葉を聞くことも、相手に言葉を届けることもできない。もちろん、モードとエベレットはそれができている。いっとき感情的になることがあっても、ちゃんと立ち止まって相手の気持ちを尊重してあげることができる。モードの哀しい過去についてエベレットがやってあげたことがその証拠だ。そして、リスペクトされれば人間は光り輝くことができる。作品を通して見せるモードの表情の変化が、そのことを何よりも雄弁に物語っている。

本作には、ロマンチックなキスシーンも、甘い囁きも、ドラマチックに2人を引き裂く障害も、なにもない。時間は常に静かに流れ、変わっていくのは殺風景だった家を彩るモードの絵だけ。それでも、彼女たちの胸の中に愛情が広がり、2人の人生が誰よりも幸福に満たされていくのを痛いほど感じることができる。これから先、誰かに「愛情ってどういうもの?夫婦の愛って何?」と聞かれることがあれば、私はこの映画のタイトルを教えてあげようと思う。



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