LalaーMukuーMerry

女は二度決断するのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

女は二度決断する(2017年製作の映画)
4.5
想像してみて下さい。ある日突然、理不尽なことで愛する家族がみんな死んでしまったら、どんな気持ちになるかを。この作品は、夫とひとり息子を爆弾テロで失ったドイツ人女性カティア(=ダイアン・クルーガー)の心情と行動を丁寧に描いている。爆発現場は夫の職場のすぐ近く。彼女は事件の少し前に犯人らしき女に、そうとは知らず何気なく声をかけていた事に気づく・・・
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容疑者が見つかり裁判が始まった。彼女には容疑者の一人があの女だとすぐにわかった。原告側、被告側の証人尋問。彼女自身が証人台に立つ日が来た。容疑者の弁護人から彼女の日頃の素行調査をもとに嫌な質問が次々出される・・・。判決はあろうことか、無罪。喜ぶ容疑者を呆然と見つめるカティア。
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その後とった彼女の行動と、もの凄いラストに衝撃が突き刺さる、主人公にグイグイ感情移入してしまう大変な問題作でした。
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(邦画タイトルは「女は・・・」となってますが、たまたまこの作品の主人公は女だったというだけで、男女間の違いは関係ないはずなので、わざとミスリードを狙ったタイトルと思われます。ダイアン・クルーガーの演技は素晴らしかったのは確かですが・・・)
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・人が人を裁くことの難しさ、真実を導くことの難しさ
冤罪犯に陥れられようとする容疑者が、「推定無罪」の原則はどこに消えた!と叫ぶような裁判がある。その一方で、明らかに犯人と分っているのに証拠不十分で容疑者を無罪にしてしまう裁判もある。無罪とは犯人ではないと断定することではない、犯人と断定できないというだけだ。犯人なのかもしれない、でも他に犯人がいる可能性が残されていて、その可能性を潰せる証拠がないなら無罪なのだ(これこそが推定無罪の原則)。
真実を隠し通してほくそ笑む犯人は何を思うか? 被害者家族の無念さを思うとやりきれない・・・
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・彼女の行動は許せるのか?
一人ぼっちになってしまった彼女が取った行動は、連鎖を生まない復讐なのかもしれない。トルコ系移民の男性ヌーリと結婚した彼女。両親は反対したわけではないが、こころの中では喜んでなかったようだし、彼女の後、彼女の親たち(ドイツ人の彼女の両親と、トルコ系の彼の両親)が行動に出ることもないのだろう。 犯人(容疑者)も家族から見放されていたようだから、その家族・親族からの復讐もないだろう。 だとすれば、これは心情的には許してあげてもいいような・・・、いやいや・・・
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~背景など(ドイツにおける爆弾テロ)~

同時多発テロ事件以来、2000~2006年ころまでドイツでも各地で爆弾テロ、連続殺人事件などが起きていた(ケルンで起きた釘爆弾テロがこの作品のモチーフでしょう)。イスラム過激派による犯行と想像する人が多いかもしれないが、実はそうではない。
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爆弾テロで犠牲となった人たちはトルコ系移民の人が多かったので、警察当局もメディアも、これはイスラム過激派によるものではなく、単に移民間の内輪もめ抗争で被害者はそれに巻き込まれた、という先入観をもった。そのため捜査に力を入れなかった。ところが真犯人はNSU(国家社会主義地下組織、いわゆるネオナチ)という移民差別意識の強い極右の地下組織だった。
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捜査当局は1990年代に彼らの活動を察知して一度逮捕状をとっていたが、彼らは逮捕前に姿をくらまし、その後10年以上にもわたって地下活動を続けながら犯行を繰り返した。
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ドイツの諜報機関(連邦憲法擁護庁)は、NSUに近いテログループにスパイを送り込み、彼らに資金を提供する代わりに、その活動情報を得るという際どいことやっていたにもかかわらず、NSUの情報をほとんどつかんでおらず、犯行を未然に食い止めることができなかった。(イスラム過激派のテロ活動の情報収集に勢力が削がれて、こちらに手が回らなかった)
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事件そのものよりも、捜査当局の怠慢がスキャンダルとなり、2012年連邦憲法擁護庁長官は責任をとって辞任した。