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ビューティフル・デイのumisodachiのネタバレレビュー・内容・結末

ビューティフル・デイ(2017年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

映画というより、コンテンポラリーダンスを観ているようだった。ほとんど発せられないセリフと、雄弁にあらゆることを表現する役者の肉体、すべてを支配するような音楽の存在感、物語が展開してからの映像や動きのダイナミズム。ストーリーにのめり込むというよりは、その世界に浸りながらトリップするタイプの作品。おそらく、ハマらない人は1ミリもハマらないだろう。

政治家の娘ニーナの捜索を依頼されたジョーは、無事にニーナを奪取する。しかし、その矢先に父親の自殺が報じられ、ニーナはジョーの目の前で再び攫われてしまう。一体、何が起こっているのか…?

行方不明の子供を探し出す裏稼業をこなしながら、年老いた母親と暮らす中年男ジョーを演じるのは、ホアキン・フェニックス。もはや、《ホアキン・フェニックスという生き物》といった方がいいんじゃないかという強烈な芝居で、ほとんど無言なのにも関わらず目が離せない。幼い頃や戦場でのトラウマから自殺願望に支配されている、という設定らしいのだが、まあハッキリ言っちゃえばやりすぎだ。でも、その"やりすぎ"感が本作の魅力でもある。全部がやりすぎで、大仰で、どこかリアリティがない。そこが、私が本作をコンテンポラリーダンスみたいだと思う所以でもある。

芝居も、音楽も、トラウマがフラッシュバックする映像も、過剰。それらの強烈な刺激によって、クラブにでもいるような高揚感というか、妙な没入感を味わっている自分がいた。おそらく、この波に乗ることに失敗すると、退屈で不快な作品だという感想しか持てないのではないだろうか。明確な情報をほとんど明らかにしないまま進んでいくので、一見謎解き要素もあるのかと思ったが、ストーリーとしてはかなりシンプルな方だと思う。確かに全てが詳らかになるわけではないのだが、重要なのはそこではないはず。この作品の波に身を任せられるかどうか……楽しめるかどうかは、その一点にかかっている。

なお、テーマやメッセージは非常に重い。子供が大人の犠牲になるということの残酷さと悲惨さを、ジョーとニーナという2人の存在を通して描いているわけだが、彼らの虚無が辛い。原題は、『YOU WERE NEVER REALLY HERE』というこれまた強烈なもの。虐待によって自らの生を獲得することを奪われた子供は、いざ自由を取り返したとき、どう歩みを進めるのか。ラストシーンもまた、過度な説明を排除しつつ、強い印象を残すものだった。
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