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ミスター・ロンリーの海のレビュー・感想・評価

ミスター・ロンリー(2007年製作の映画)
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高校生の時に出会って以来、毎年寒くなるとライ麦畑でつかまえてを読みたくなる。メリーゴーランドに乗ったフィービーをベンチから眺めていたホールデンの気持ちを、今も手にとるように想像できて、それどころかわたしもいつか同じようにそこで、自分のいのちよりも守るべきだと思うだれかを見ていたことがあるように思う。わたしがホールデンを自分の理解者であり友人のように感じていたのは、彼の、厭世的で、いつも何かが気に入らなくて、今世界で起きている以上によりよいことがもっと本当はあるべきだと考え続けていて、それでも徹底しているようで移り変りやすい心に共感…共鳴だったかもしれない、していたからだと思う。でもいまは少し違うふうに、彼をそばに感じる。ホールデンの、世をうらんでいないと、不器用でいないと、本当に長いあいだ見つめ続けないと、変わらないように変わり続けないと、守れない心の本当に尊い部分に、それを必死で守ろうとしているすがたに、共感もし思いやりもし愛おしく思いもし、その気持ちのためにわたしは泣きたいと思う。いつかわたしはホールデンと同じ立場でライ麦畑に立つ人間だったけれど、今はちがうんだな、今はホールデンのもっと外がわにわたしは立っているんだと気がつく。おとなになるって、こういうことかもしれないし、全然違うのかもしれません。世界があって、知らない人がそこにいて、大切で大切でひとときも目を離したくないひとがそこにいて、自分もきっとそこにいる。その実感はどんどん追いつかなくなっていって、わたしが眠っているあいだも、立ち止まりたくてしゃがみ込んでいるあいだも、そんなのお構い無しに楽しげな音楽の中で、にぎやかな笑い声の中で、雨が降っても、陽が見えなくても、ぐるぐると忙しなくメリーゴーランドはまわり、わたしにひとりをわからせる。馬に乗った子どもが笑う。わたしに手をふる。寒さに凍え、いまにも死にそうな具合なのに、急にそんなのがホッとどうでもよくなって、悩みも葛藤も重たいからだのつらさも忘れさって、すごく幸福な気持ちになる。知っているはずだ、ずっとわかってたはずだと、あいまいで未完でせまいせまい景色を心の奥底からわたしは信じていますと、安心にくるまれる。世界があって、あなたがいて、わたしがいる、それは別々のようで、本当はひとつだし、本当にひとつのようで、実は別々なんだ。もう会えないひとと、本当に別れる方法を、知っている人なんていない。未来永劫、この身が尽きるまで、あなたを信じていたい。小さくて、くだらなくて、下書きの中にしか存在できなくてもいい、もう二度と光りのもとに立つことがなくてもかまわない。この光りをおぼえている。
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