円柱野郎

テリー・ギリアムのドン・キホーテの円柱野郎のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

ドン・キホーテを題材にした撮影を行っていたCM監督・トビーは、その現場の近くでかつて卒業制作の映画を撮ったことを思い出す。
その村に立ち寄ったトビーだったが、そこで出会ったのは気が狂って自身をキホーテと思い込むかつて自分の映画で主役を演じた老人だった。

一度目の制作中止から18年後、ついに完成し公開された本作。
この物語だけを観ても現実と幻の境目を跨ぐ手際の良さや、舞台を現代に翻案した「ドン・キホーテ」の物語としてそこそこ楽しめるのだけれど、やはりこの作品自体は「ロスト・イン・ラ・マンチャ」を前編として、本作を後編として楽しむのが正解なんじゃないかと思った。
テリー・ギリアム監督の執念の結実を眺める作品とでもいうか、本作が難産中の難産であったことを踏まえて観ると「監督…、ついに完成させたんだな」という感慨がこみあげてくる。
「不可抗力の事態だ」とか「この月は雨が降らないはずだが残りの撮影が台無しだ」とか、「ロスト・イン・ラ・マンチャ」に対するメタな台詞も入っていて、自虐的だなあ…と笑ってしまうw

当初の企画は主人公が過去の時代にさかのぼる話だったようだけど、本作では一貫して現代が舞台で幻のように“ドン・キホーテの認識”が侵食してくる感じ。
でもちゃんと「ドン・キホーテ」の物語に沿っているところは上手いなあと思った。
“思い込み”というテーマとしては「ムスリムだからテロリストだ」という一方的な思い込みにのついてずいぶん直接的な皮肉も入っているけれど、その一方で夢や幻を追い続ける者に対する愛も描いているように感じる。
終盤、“ドン・キホーテ”を笑いものにした奴らに対する怒りはもはや主人公だけのものではないだろう。
観客にそういう気持ちに共感させた時点で、この映画は成功か。
それもこれも主演の上手さによるところだよね。
アダム・ドライバーもジョナサン・プライスも見事だった。

しかしやはり最後に思うのは監督の執念のことである。
喜々として入れたのであろうラストの巨人のシーンは「ロスト・イン・ラ・マンチャ」を観た者ならニヤニヤせざるを得ない。
さすがに当時のフィルムではなくキャストも違う再撮影のものだったけれど、この巨人のシーンがあるかないかで作品の立ち位置の意味合いは変わってしまうだろうからね。
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