Naoto

戦争と平和のNaotoのレビュー・感想・評価

戦争と平和(1965年製作の映画)
3.5
映画、文学、音楽、絵画。
いわゆる芸術と呼ばれる物には、いろいろな側面があると思うが、その一つに、意味を定義付けせずに、曖昧な形のままにしておけるという側面があると思う。

そして、意味が決定されていない物に触れるからこそ、解釈という物が生まれるのだと思う。

例えば、作品Aには、aという意味があり、同じようにb、cという意味合いもある。
ある人は作品Aをaという側面から見ることによって解釈a'を生みだし、またある人は、bという側面から作品Aを見ることによって解釈b'を生み出す。
次にcという側面から見る人がいて…、

といった具合に、芸術はその存在自体が多義的な意味を含む物だと思う。

戦争と平和という作品は、世界屈指の文学であるとともに、多くの挫折者を生み出した作品だ。

挫折した人の理由の多くは、あまりにも厖大な分量であるのと同じぐらいに、登場人物が多すぎて覚えられない、というところにあると思う。

僭越ながら、この作品にはもっと不真面目に、覚えられないものは無視して、共感するポイントだけをさがしながら、のんびりと触れていく方が良いと思う。

作中登場する人物は、単なる物語のキャラクターではなく、共感装置のような物なので、読み進めながら、知らずに装置を押してしまうまで待てばいい。
後は連鎖的に装置を次々に押してしまい、気づいたら物語は終わっていて、何らかの解釈が生まれる。

信じられないことに、文豪トルストイは登場人物の数だけの人格を作り出すことに成功している。(時には犬にまで人格を与えている)

人の利益のために奔走できる善良な人がいたり、一面の寂とした銀世界の中に人肌の恋をする人がいたり、悪辣な奴がいたり、悪辣と思えばある一点にかけては美徳を持っている人がいたり、大砲の音とともに人知れず命を落とし、意識が永遠に途絶えるそのあわいに全てを見る人がいる。

様々な人が、様々な思惑の中で、1人ずつ、確かに生きている。
そして、ロシアの大地はそれら全てを、首を縦にも横にも振らず、厳かに、また雄大に、包み込んでいる。

ちょうど、すべての芸術があらゆる意味を内包しようとしているように。
Naoto

Naoto