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きらきら眼鏡のQTakaのレビュー・感想・評価

きらきら眼鏡(2018年製作の映画)
3.5
久々の池脇千鶴主演映画を見たてきた。
振り返れば池脇千鶴である。
『ジョゼと虎と魚たち』『きょうのできごと』など、もう十年以上前から、最近だと『そこのみにて光り輝く』、実は今年は何度かスクリーンで見かけてもいる。
『万引き家族』、今週見た『十年(是枝裕和監修)』にも出演されていた。
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人の死を題材にした映画、特に身近な死と向き合い、悲しさから涙を誘う映画は得意では無い。
というか、基本的に見ない。
ともすると、この映画はそういう映画の一本に数えられてしまうかもしれないが、どうやらそう簡単なものでもなかったのが救いだった。
そもそも、この映画を見ようと思ったのは、池脇千鶴だったのだから、その時点で満足だったのだが、それ以上のものを与えてくれた。
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登場する男女は、ともに恋人を通して死と向き合っている。
駅員の明海は、高校時代からの恋人を事故で失っている。
あかねは、恋人が肺がんで余命宣告を受けている。
一方は、大切な人を失ったことに苦しみ。
一方は、これから失うことを恐れている。
ともに、生きることの苦しみと向き合っている。
そんな二人の出会いからこの物語は始まる。
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二人の出会いは、古書を通じた偶然がもたらしてくれる。
あかねの愛読書『死を輝かせる生き方』の中の一節、
あかねが横線をひいた一文。
「自分の人生を愛せないと嘆くなら、
愛せるように自分が生きるしかない。
他に何ができる?」
この一文が、この映画の全てを表している。
この本を偶然手にし、この一文に触れた明海は、この言葉の意味がわからなかった。
ただ、この偶然の出会いから、あかねと過ごす時間から、この言葉が、自身が生きる上で掛け替えのない意味を持った言葉になっていく。
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あかねが、勤め先の産廃処理場で明海に打ち明けたことに、「きらきら眼鏡」が出てくる。
それは、見たもの全てを輝かせる眼鏡。
生きていることが、今ここに刻まれている時間が、とても重要なのだと気づかせてくれる、そんな大事なことを教えてくれる。
明海の職場の駅は、様々な人が行き交う場所。
その職場でのトラブルさえも、あかねには困難な事態には見えない。
目の前の人に、仏のように優しく接するその姿は、明海には驚きでしかなかった。
まさに、「きらきら眼鏡」のなせる技か。
あかねの口から、恋人の病のことを聞かされ、あかねの生き方、困難を前に必死に生きている姿に気づく。
そして、「きらきら眼鏡」の意味を理解していく。
あかねの「きらきら眼鏡」は、あかねが生きる上で必要に迫られて身に纏った鎧なのかもしれないと。
「きらきら眼鏡」無しでは生きられないのだと。
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あかねが、明海を誘って、明海のかつての恋人のお墓参りに故郷を訪れる。
それは、明海に、かつての恋人の影を追わせることになる。
街のここそこにその姿が浮かぶ。
それは、残酷な仕打ちでしかなかった。
つまり、あかねは、明海をして、死に向き合うことの何たるかを確認しようとしたのだ。
それは、想像以上に残忍で、無慈悲な行為だった。
明海は、かつての恋人と離別できない自分を思い知らされた。
思った以上に、自分が引きずっていることを知らされ、苦しみの中で一歩踏み出す。
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こうして、ここまで苦しむことで、ようやく一歩進める。
あかねは、恋人の死に向き合い、恋人を失うことになる。
明海も、あかねも、大切な人の死から、一歩踏み出すことになる。
ラストシーン、明海はあかねに問いかける。
「あかねさん、今、きらきら眼鏡をかけていますか?」
この「きらきら眼鏡」は、以前のあかねの「きらきら眼鏡」とは別の眼鏡のように思う。
それは、苦しみや、困難、不安から自らを守るための、鎧のような眼鏡ではなく、背負っていた様々な困難や不安をすべて取り払い、ありのままの世界を見つめ、受け止める、そんな眼鏡なのだろうと思う。
目の前に広がる世界がきらきら輝いて見える、そんな素敵な眼鏡を二人は手にしたのだろう。
それは、明海自身がこの経験から手にした眼鏡でもある。
素直に見て、感じて、対応できる自分を手にしたということだろう。
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久々の池脇千鶴主演作。
じっくり味わう、いい映画でした。
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