QTaka

破壊の日のQTakaのレビュー・感想・評価

破壊の日(2020年製作の映画)
4.1
”疫病退散”。
物語の背景に、この年(2020)の日本が有る。
その時を振り返る時、この映画がまた別の輝きを放つのかもしれない。
.
映画は企画段階から、東京でのオリンピックを念頭に置いていた。
このお祭り騒ぎが、社会にもたらす負の側面を真正面から受け止めることになるであろうミニシアターだ。
この数年、映画の環境が変化し続けていった流れの中で、ミニシアターにしわ寄せが来ていた。「映画離れ」も有ったであろうが、実際のところは、余暇の多様化の中で、「映画館離れ」だったのだろう。自宅でも、スマホでも映画は見られるようになった。
年々、少しずつ、映画館が減っていった。
そして、その駄目押しになると思われたのが、東京のお祭り騒ぎだ。
アスリートの放つ輝きは、一瞬ではあるが、映画館のスクリーンより魅力的に見える。それが、お祭り騒ぎとなると、強敵だ。
そんな危機感の中で、全国のミニシアターが活気づくように、人々の足が向くように、この映画の製作が企画された。
しかし、2020年、その年に世の中を襲ったのは、疫病だった。
まさかこの21世紀に、”疫病”が人々の生活を脅かすとは。
ここから始まった世の中の変わり様は、フィクションを超えていた。
たちまちのうちに、人々の生活は根底から打ち砕かれていった。
”緊急事態宣言””マスク着用の義務””リモートワーク”
そうやって、人々は、徐々に活動を止めていった。
もちろん、”祭り”も延期された。
.
そんな中で、「破壊の日」が公開された。
それは、一体何に抗う事だったのだろう。
一体、何と戦ったのだろう。
果たして、それを見た私たちは、戦ったのだろうか?
疫病は、いまだその猛威を緩めることは無い。
今もなお、私たちは、攻め続けられている。
そして、この先は…
.
2022年。
もう疫病は当たり前の日常になってしまった。
それは、けっして「あたりまえ」なんかじゃないはずなのに。
そんな日常を何となく過ごしている。
抗うことも無く。
「なんなんだコリャ〜」っと叫ぶことも無く。
今一度、疫病以前の、普通に映画館で過ごす時間を取り戻さなければ。
その為に、今、「なんだコリャ〜」と叫ぶ気持ちを取り戻さなければ。
そうして初めて、元の「あたりまえ」を思い出せる気がする。
もう一度、スクリーンの前に座れるような日々を。
.
豊田利晃監督狼蘇山三部作より。
DOKUSO映画館にて鑑賞。
QTaka

QTaka