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クナシリのQTakaのレビュー・感想・評価

クナシリ(2019年製作の映画)
4.0
あまりの違和感と、身近さの混在が、感情を拒否させてしまったのかもしれない。歴史の厳しさと、悲しい現実に混乱を憶えた。
そして、ソ連-ロシアという国が見えてきた。
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島の風景は、北海道のどこかの海岸線の様でも有り、野山はどこか郊外にすぐにあるような風景でもある。
街並みの一部は、一昔前の漁村に、あるいは今も有る家並みにも見える。
ただ、少し視線を変えると、野山は荒れ果て、ゴミが散乱し、あるいは貧しい生活が見えてくる。
この島の生活は、21世紀の、現代の生活とは少しズレている。
何故、何が違うのか。あるいは違ってしまったのか。
映画を見始めて、そんな混乱が脳裏によぎった。
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現在に至るまで、島民の生活は貧困と隣り合わせだ。
住居を与えられたのはソ連時代だろう。
しかしながら、トイレすらその居住環境には無かった。
一方、酪農を始めとする農業、近海の漁場を中心とする漁業も後に破綻し、漁業に至っては、輸出産業となり島民の食卓とは無縁となっている。
食の貧困が顕著だ。
90年代のソ連経済の破綻の影が今なおここにある。
そして、ソ連時代から引きずっている行政組織の問題もある。
地方政府の無能さを批判する。
たびたび出てくる日本人の遺構。
それらに添えられる、かつての豊な暮らしの様子。
はたして、この島において、日本人が居住を続けていたならば、この島の風景は、暮らしはどうなっていたであろうか。
野山の風景は、時折、北海道の普通に見られる風景と重なる。
一方で、ゴミの散乱する原野や、海岸線などは、痛々しく見える。
美しい島の風景が、このままでは破壊し尽くされてしまうしかない。
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この島をソ連軍が制圧した時の記憶を語ってくれた島民が出てきた。
この島で営まれていた平和な暮らしが語られていた。
本土から(日本からも、ソ連からも)離れていたこの島の暮らしは、ここに暮らす人々によって営まれ、国籍や言葉や人種に隔てられるものでは無かった。
同時期に、この国後島の隣の色丹島で起こった出来事を記した物語「ジョバンニの島」がある。この物語はアニメーションとして映像化もされている。
ここでは、占領前の島の暮らしが描かれていた。
それは、美しい自然の中での暮らしが描かれていた。
そこに流れていたのは、まさに”豊”かな暮らしだったのだ。
色丹島がそうであったように、国後(クナシリ)島も、同時に占領され、日本人島民は、その生活を奪われた。
映画冒頭より、土の中に当時の島の暮らしの断片が掘り起こされる。
そこには、生活の証として、住居の土台や、食器、或いは墓石などが見られる。
それらを、ソ連軍は悉く破壊し、無きものにしていった。
その痕跡すら残したくなかったのだろう。
しかし、共に暮らしていた島民には、それらは豊かさの証であった。
あるいは、そのコミュニティーにとって、必要な存在ですらあった。
それは、共に暮らしていたからであった。
そして、それらを奪われる事は、残った島民達にとっても苦痛だった。
住民にとっての戦争は、占領によって、勝利とはほど遠い結果を残した。
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監督がこのドキュメンタリーの中でこの場面を見せた事に、何か感情を感じる。
冷静に判断するならば、これはなんとも陳腐で、歪んだ現実だ。
ソ連・ロシアの系譜は、軍事国家色がとても濃い。
国後島を観光で復興しようと考える軍人の話がまさにそれだ。
兵器の博物館など、観光の目玉になろうはずがない。
一部の”ミリタリーお宅”を見て勘違いしたのだろう。
ましてや、この島を武力制圧した記録など、その国の人間以外の誰が喜んで見るだろうか。そして、この島はこの国の”極東”の”東の外れの離れ小島”でしかない。
こんなところで”観光”とは、なんとも間の抜けたビジネス感覚だ。
さらに、これ見よがしに行われる、軍事パレード(?)のようなものも悲しさを誘う。
まるでピエロの行列のようだが、それなりに本気なのかもしれない。だとすると、なおさら酷い話しだ。
監督の気持ちを察するに、この土地の行く末を憂うしかないと言ったところか。
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「日本が島の返還を求めている」という話しが何度か出てくる。
政府や軍の側の人間は、それを否定し、こう言う
「戦争の結末に議論は無い」
ここに見えるのは、”軍事国家ロシア”の姿だ。
「武力によって解決する」のがこの国のやり方だ。
これでは、平和外交など成立するはずも無い。
それを確認すると、今、ウクライナで起こっている事も当然の帰結だと判る。
ロシアにとって、解決手段は、最初から軍事介入だったのだ。
それは、ソ連時代から何も変わっていないと言うことになる。
なんとも、時代遅れな、学習とは無縁な思考様式だ。
映画には、そんな国と”外交ごっこ”をしてきた総理大臣が登場する。
”シンゾー・アベ”だ。
アベとプーチンの姿がTVの報道画面に映し出されるが、二人ともマヌケ面を晒している。
軍事国家の”王様”と外交ごっこをしてきた日本の総理大臣。この二人をいったいどう評価するべきなのだろう。
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歴史を語るには、その時代を生きた目と記憶が必要だと思う。
その上で、この映画でその時代を島民として生きた老人の言葉に耳を傾けたい。
平和な中で、共に生きていた時代のなんと美しい事か。
それを語る言葉の中に、失ったものへの無念さを感じる。
それは、彼が望んだ顛末では無かったし、”失った”というより、”奪われた”生活なのだろう。
もし、その暮らしが今日まで続いていたならば、老人の人生や、島の風景はどうだったであろう。
仮定で語る歴史に意味は無いとは言え、そんなことを思わずにいられない。
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本作は、シネマ映画.comにてオンライン上映で鑑賞した。
ロシアのウクライナへの軍事侵攻について、この映画から見えてくるものが有る。
彼の国の歴史と、その実態をこうして見ることが出来る。
また、映画鑑賞による収益の一部は、国連UNHCR協会を通じてウクライナの方々への支援になる。これらのことを含めて、このような機会を得られたことに感謝する。
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