1本の糸から生まれる、それぞれの人生の物語。
冒頭からアイスランドの大自然とピョンピョン跳ねる羊、そして毛糸にくるまれたハットルグリムス教会に心臓射抜かれまくり。
本作は自己表現として編み物をしている世界の女性たちを追ったドキュメンタリーなのだが、それぞれの目指す場所は決して同じではなく、だからこそそれぞれの魅力と言葉の力に惹き付けられた。
映像も糸を使った表現が用いられていて、それがとても素敵。
私は小さい頃から編み物に慣れ親しんできたわけではなく、大人になってから出会った。
それまでは音楽に夢中で、歌が自己表現だった。
子どもが生まれて少し音楽と離れていたとき、編み物に出会い魅了された。
編み物の好きなところは、編んでいる間無心になれるところと、全てが1本の糸から生まれ、解けばまた1本の糸に戻るというところ。
ちゃんと基礎を学びたくて学校にも行ったけど、そこで教わったのは「編み物に不正解はない」ということだった。
同じものを編んでも編む人によって個性が出るし、基本はあっても「こうしなきゃいけない」なんて決まりはなくて、自分の編みたいように編めばいいと知って、さらに編み物が好きになった。
だけど、販売を始めてから「作品」が「商品」に変わった。
どういうものが売れるのかを考えるようになり、編み物は私がしたいこととは違うのかもと思い始めた。
ある時、ふと思い立って帽子を編んだ。
売れるかどうかなど考えず、自分の好きなように編んだ「作品」だった。
するとたくさんの注文が来て、3か月で100個以上の帽子を編んだ。
何より嬉しかったのは、たくさんの子どもたちが私の作品を気に入ってくれて、笑顔になってくれたことだった。
腕や肩はバッキバキだったけど、本当に本当に幸せな時間だった。
本作に出てくる女性たちの中で、オレクにいちばん惹かれたのは、やっぱり私が表現したい生き物だからなのだろう。
性別も年代もバラバラの人たちが集まって機関車を編みくるんだ作品がいちばん好き。
めちゃめちゃ楽しそう。参加したかった!
“美しくて役にも立つ立派なアートよ”
“かぎ針編みは私の言葉なの”
“1つのことを続けるのは難しいけれど
その努力にこそ人生の意味がある”
“意識は別世界を旅している
ドラッグも使わずにね”
ちまちました作業に見えるけど、自由で、シンプルで、楽しい。
おばあちゃんになっても自由に編んでいたいなと思った。