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港町のQTakaのレビュー・感想・評価

港町(2018年製作の映画)
2.0
〝観察映画〟何?
なんともとらえどころの分からない映画だった。
ドキュメンタリー映画の手法の一つと捕らえて良いのだろうが、一体何?
強烈な映像に面食らいながら、少し考えてみた。
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そこで、是枝監督との対談が有ったので、映画観賞後に見てみた。
(『是枝裕和×想田和弘 ドキュメンタリーを考える』(日本映画専門チャンネル))
この中で、「ドキュメンタリーとは、客観的事実では無いのだ」と言うことを如何に提示できるか、と言う話をされていた。
ん、確かに、ドキュメンタリーとは、真実を表すものでは無いだろう。
作り手・撮り手が感じたものを表現するための手法であり、その作品だろう。
だから、それを前提にドキュメンタリーを見るのだと思っていた。
ところが、その前提が無くて、「ドキュメンタリーとは」という立ち位置を含めてドキュメンタリーの中で表現するというのだから、製作者も大変だ。
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その対談の中で、NHKでの番組作りの話が出てきた。
NHKでは、ドキュメンタリーは、客観的事実の表現らしい。
そんな表現は成立するのか?
と言うより、それは、NHKという組織の立ち位置としての〝客観的立場〟のことであって、
つまり、NHKという組織の限界なんだろう。
まったく、あきれるような逸話だった。
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映画〝港町〟の話に戻ると。
観察からはじまる映画の撮影方法は、静かに観察対象と接しながら、あるがままにその場面を撮って行くということなんだろう。
映画の中では、近所の猫たちに餌を振る舞うご夫婦と猫たちの姿や、
坂上の先祖代々のお墓を掃除し花を生けるご婦人の姿、
朝、市場で仕入れた海産物を、町中を走り回って売り歩く女性と客たちの姿。
港町のありとあらゆる側面を、そこに起こる日常とともに映し出している。
漁港で、一人網を繕っている老人は、一人漁に出て、そう多くも無い水揚げを市場に揚げている。
黙々と準備をし、慣れた手つきで魚を仕分けし、水揚げする姿には、寂しさと同時に満足感を感じる。
ここまでの表現は、私も素直に受け止められたのだが…
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漁港で出会う老女(久美さん)との絡みは、なんとも理解不能だった。
これが観察映画なのか?
まるで、素人を主役にするバラエティー番組みたいな感じがした。
撮れたものをそのまま利用したような粗っぽさを感じた。
それで、一体何を表現しようというのだろう?
ちょっと、この辺が私にはなんとも受け止め難い表現だった。
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是枝監督との対談の中で、この部分に言及したところが有った。
老女の赤裸々な発言の本人が思う意味と、それを映像として表現した撮り手の意味の間には、大きなギャップがある。
つまり、一方は、話をしているだけなのだが、撮り手にしてみると、それは映像表現として撮っている内容となる。
撮れてしまったその話、表現は、果たして、ドキュメンタリーの一部として発表する内容なのか。
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ここで対談されている、是枝裕和監督も想田和弘監督も、テレビの人である。
私自身は、テレビ番組はほとんど見なくなってしまっているので、おそらくこの二人とは全く意見が合わないのかもしれない。
でも、そこに何かの接点を見つけられれば、このお二人の作品をこれからも見て行けると思うのだが。
どうも、ドキュメンタリーというのは、テレビ文化の中のもののようで、その表現はテレビ的なものにならざるを得ないのかもしれない。
つまり、テレビ的にウケるかどうか。
とすると、ちょっとドキュメンタリー映画と言うものに、距離を感ぜざるを得ない気もする。
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