華麗なる加齢臭

殺人者の記憶法:新しい記憶の華麗なる加齢臭のレビュー・感想・評価

5.0
【独立したアナザ・ストーリー】
「殺人者の記憶法」を「オリジナル」、そしてこの「殺人者の記憶法:新しい記憶」を「新しい記憶」と表し備忘録のためレビューを書く。

最初に、というか大前提として、ソル・ギョングの芝居も含め「オリジナル」、「新しい記憶」両作品ともサスペンススリラーとして超一級品の作品であり「オリジナル」のレビューにその旨を述べた。故に、それぞれを優劣をつけるために比較するのは私にとって全く意味がない。

それよりも、「オリジナル」と「新しい記憶」の違いについて考えてみたい。
まず、「新しい記憶」は、「オリジナル」の続編ではなく、おそらく9割以上同じシーンで組み立てられている。それゆえ明確に違いのある「結末」さえ観ればこと足りるとのせっかちな方からの感想もある。

しかし、両作品には、それぞれカットされたシーン、付け加えられたシーンがあり、まさにどんでん返しである結末の違いに意味を持たせている。
レビューにも書いたが、「オリジナル」では、ソル・ギョング演じる主人公のビョンスと愛娘ウンヒの愛おしくなる親子の絆が伝わってくる。アルツハイマーを心配しボイスレコーダーの使用を勧める娘、その娘から差し入れられた肉まんをテレを隠しながら食する父親。このシーンだけでも、この親子に禍が及ぶことなくと観る者は願うはずだ。
「新しい記憶」では、この親子の絆を象徴するシーンはない。反対に、この親子に不幸と禍を及ぼすキム・ナムギル演じるミン巡査が、冒頭から暴力的で闇を抱えた男して描かれている。

それらの違いがあり、あの結末の違いとなるのだ。どちらが本当の結末か?それは見る者の解釈によって違うのかもしれない。しかし「オリジナル」の結末が謎めいていたので「新しい記憶」にミステリーとしての解答を求める者が多いだろう。

そして、両作品を見て、キム・ビョンスは、短期記憶が飛ぶ若年性アルツハイマーというよりは、人格が変容するサイコに思えてきたのだ。殺人鬼と、記憶が途切れる認知症の中年男、そして娘を殺人鬼から命をかけて守りたい父親。この三つの人格が一つの体に同居し、靴の履き間違いに気づいた時に人格が入れ替わる、個人的にはその様な感想をもった。

反対に、劇中でも、比喩、メタファーについて言及されるが、「オリジナル」ではキム・ビョンスの手元に戻り「新しい記憶」では紛失してしまうボイスレコーダーは、何を意味し比喩しているのだろうか。靴の履き違いは分かっても、それぞれの結末におけるボイスレコーダーは未だ謎のままだ。

いづれにしても、殆ど同じシーンであったとしても、映画好きであれば両作品を観て、損はないと思う。