LalaーMukuーMerry

父、帰るのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

父、帰る(2003年製作の映画)
4.1
僕の名はイワン(愛称ワーニャ)、ロシアの12歳の少年。僕の家にはパパがいない。兄のアンドレイ、ママ、おばあちゃんの4人暮らし。ママがとても優しいから、パパはいなくてもいい。
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夏休みのある日曜日、遊びから戻ると見知らぬ男が家にいた。12年ぶりに帰ってきたパパだ。がっしりした体格、ひげ面で口数の少ない男だ。ママもおばあちゃんも黙ったまま、この男がどこで何をしていたのか、そして何故今頃戻ってきたのか、誰も教えてくれない。
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“父”は僕たち兄弟を連れて明日からキャンプに行くと言った。“父”の車で旅行だ。
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一日中車で移動した後、火曜の午前、途中の小さな町に立ち寄った。公衆電話で“父”は何度も誰かに電話した。食事できる店を探すよう言ったのに、町を回った兄は寄り道してなかなか戻ってこなかったので、“父”は不機嫌になった。怒った“父”は怖かった。食事の後、勘定をして店から出た僕たちは、不良に絡まれて父の財布を奪われてしまった。“父”はその不良を探しだし捕まえて戻ってきた。そして、僕たちに、こいつを殴れ、仕返ししろと命令した。できないと答えると、根性なしめ!と言った。 “父”は強くて頼もしくもあるのだが、凄味があって怖い。
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「急に用事ができた。帰りのバス代をやるから家に帰れ」と突然“父”は言いだした。なんて勝手なんだ。「次の機会は12年後か」と毒づいたら、一緒に行けることになった。他の場所に行って3日間“父”が仕事をしたら、その後で釣りとキャンプだという。
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小さな港町に立ち寄って“父”は袋に入った何か大きなものを調達した。一体何だろう? その日は森の湖畔で釣りを楽しんでテントで寝た。父と僕たちは別々のテント。夜、テントの中で僕たちは“父”が何者なのか想像して話し込んだ。アンドレイはそうでもないようだが、僕は“父”が好きになれない。納得できる説明もせず有無を言わせず僕たちを従わせる。怪しいことをする不審人物かもしれない、僕たちは殺されるんじゃないか?
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水曜日は早朝に出発。僕は釣りをもっとしたいとごねたら、父は機嫌をそこねたか、途中の小川にかかる橋の上で車から下ろされた。ここで釣りをしていろと言い捨てて、僕を置き去りにして行ってしまった。人っこ一人いない野原に取り残された僕は途方に暮れた。帰って来てくれるはずだ、でも、戻ってこなかったら…? 雨が降り出してずぶ濡れになったが、そのまま橋にもたれて座ってただ待ち続けた…。 どれだけ待っただろう、“父”の車が戻ってきた。車に乗るとずぶ濡れの服を着替えろと命じられた。僕は心がかき乱れていた。「12年もほっといてなぜ今頃帰ってきたんだ!」と泣き叫んだが、父は黙ったままだった。
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目的地の湖に着いた時、空は快晴になっていた。そこからはるか沖合の無人島にいくのだという。岸に捨ててあった古いボートの船底にタールを塗り、調達したモーターを取り付けて快調に進んでいたのだが、途中でモーターが故障してしまってからは、僕たちはボートを漕がされる破目になった。クタクタになって島についた時は夜も更けていた。
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島には結局2日いただけだ。僕たちが釣りをしている間、父は島のどこで何の仕事をしていたのか分からない。その後の島での出来事について、僕は決して人には話さない。これは僕たちだけの秘密だ。だけど、はっきり言えることは、この1週間のことを僕たちは決して忘れることはないということ、そしてこの1週間の旅で、僕たちは大人になったということだ。
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…と書くと、「スタンド・バイ・ミー」のようなノスタルジックな雰囲気が出てきますが、映画は全く違う印象です。テイストは大分違いますが「フライド・グリーン・トマト」を思い出させる、かなり引っかかって心に残るお話でした。作品の制作年から逆算するとワーニャはソビエト崩壊の年1991に生まれた少年。この父親のキャラクターはソビエト時代の父親像の典型なのでしょうか。エピソードもほとんど回収されず謎は謎のままで終わります。秘密のベールで被われたソビエト時代そのものといった印象です。それでも人が全くいない広大で静かな湖水風景はとても美しい。フィンランド国境近くのラドガ湖という湖です。