やまもとしょういち

バーニング 劇場版のやまもとしょういちのレビュー・感想・評価

バーニング 劇場版(2018年製作の映画)
4.1
「韓国はギャツビイが多すぎる」

村上春樹の1983年の短編『納屋を焼く』をイ・チャンドンが韓国を舞台に現代劇として映画化した本作。

社会が高度に発展していく過程の裏で生じる現代の「階級闘争」ともいえる格差、弱者の人生を利用して全てをむしりとっていく一握りの者たちの存在……80年代の日本にもあったシステムの歪みは、2010年代後半の韓国ではより高度に、より熾烈に存在していることが具に描かれる。超学歴社会がもたらす就職難と高い失業率をはじめ、韓国の若者たちが直面する現実、持たざる者の人生がただ社会の養分のように消費されていく厳しさに息が詰まる。

原作同様、高級車を乗り回す「ギャツビイ」(=ベン)は得体が知れないが、イ・チャンドンはベンをグレートハンガー、人生の意味に飢えた人間であると示唆する。自身では大して何もしていないのに、金持ちとして生まれただけで金持ちとして生きているギャツビイは、その人生の飢えと退屈によってビニールハウスを焼く……

イ・ジョンスはベンがシン・ヘミを殺したのではないか、と思い至り、復讐を決行する。借金とりに追われる母、短気でプライドが高い父の元に生まれ、大学に進学するも、もとの貧しい農村の暮らしから結局抜け出すことができなかったイ・ジョンスの復讐の矛先は何だったのか。合理性によって人間性を否定する韓国社会そのものだったのではないかと、僕には感じられた。そしてイ・ジョンスの抱える怒りと、父の抱える怒りは本質的には同じものだったのではないか、と思ったりした。