クリンクル

幸福なラザロのクリンクルのレビュー・感想・評価

幸福なラザロ(2018年製作の映画)
5.0
スコセッシが絶賛したという以外まったく知らずに観に行ったので、ポスターから地味なヒューマンドラマか宗教テーマの堅苦しい映画を想像していたが完全に翻弄された
それも全編にわたって。

まず年代からいってまったくわからなかった
フィルムのザラつきのある画だし、車の年式は大分古いし、侯爵?イタリアってそんなに残ってたっけ?ボロボロのTシャツは大量生産された既製品に見えるし…と映画の全容を探ろうと試みていると早々にネタが明かされる
映画前半の搾取される小作人、小作人に搾取されるラザロという構図も侯爵夫人が言葉で丁寧に説明してしまうので、これが映画の着地点なのかと思うとこれまた早々に解決してしまう

映画がどこに向かっていくのかまったくわからない。このまったく予測不能な感じはいつ以来だと思うぐらい映画を観ていて久しい感覚だった
これこそが映画を観る喜びの一番大きなものだと感じる
だからと言って観客の予想を裏切ることに注力している作品ではなく、超常的な事も起きるけれどもいままでの全ての描写が帰結するような結末になっている

ラザロは命令されれば悪事にも手を貸すし、踏み潰してたものが尊いものだという事も教えてくれる
では、ラザロは無感情で登場人物の写し鏡であるかというとそうではないように思う
無感情に見えるラザロもタンクレディに関しては特別な思いを持っていたことからもそれはわかる
タンクレディの影を見つけては走り出し、兄弟であることを嬉しそうに他人に話して、貰ったパチンコをいつまでもポケットに忍ばせている
最後にラザロが涙を流し銀行にたどり着いたのは偶然ではないだろう
侯爵夫人は非常に分かりやすい悪人だが脱穀の粉がかかるぐらいの汚さだ
腹を空かせた狼の寓話があそこで差し込まれたことの意味がイマイチ掴めなかったが、今はわかる
小作人たちも、侯爵夫人も、酷い仕打ちをしたタンクレディも、飢えた狼だからだ
彼らが飢えてることを知っているからラザロは涙を流したのだ
そんなラザロが最後には空腹を知らない人々に殺されてしまう
もし、現代に聖人が現れても私たちは気づけるだろうか

傑作という言葉では足りないほどの大傑作
イタリア映画の名作と並んで歴史に刻まれるほどの映画
まったく新しいのに歴史的名作を観ている感覚だった