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帰れない二人のotomisanのレビュー・感想・評価

帰れない二人(2018年製作の映画)
4.0
 昔の二人には確かに危険な輝きがあった。土地の顔役の御用聞き、強面連の束ね役で名の知れたビンとその相方のシャオ。ビンがひとたび「関羽様」をお連れすればどんな鉄面皮野郎も不逞を通せない。しかし、時代の移り行きはどこか古風なやくざ者をさっさと振り捨ててゆく。親分と担いでた顔役があっさり殺されるのもきっと地場の権力のありようの変化か、そのつるむ相手、同地での先導役がこっそり変わったからだろう。庶民の更に下の「渡世人」には知りようもない事だろう。

 ビンもシャオもその家族も、そして、強面連全てがすでに斜陽を迎えた炭鉱町の余剰人員。中央政府が押し付ける開発目標達成の強権発動を手引きしていい羽振りで来たが親分が討たれては、次の世渡りをどう模索しよう。
 ところが、ふたりの古風さは機を見るに敏とは働かないし、親分の次は自分らと承知あるだろうに敵方の襲撃にも多勢に無勢なのをものともせず真っ向勝負で受け止める。
 こうして、ふたりで下獄して、無許可の拳銃を使った分だけシャオの刑期が長くなったのだが、では、あのときビンはなぜその銃で窮地を切り抜けようと試みなかったか。それは相手も銃を持たないから。ビンの相対主義が拳一つを選ばせて、負けは承知、ここがいのちの捨て処と観念したのかどうか。だが、それが、同じく「渡世人」を名乗っていても女には通じない。

 死に場所も渡世人の誇りも立場も失って、むかし世話した成金社長の妹の意中の人となって生き延びるビンだが、そんなビンを待ちあぐねたシャオこそいい面の皮。しかし、出所後の災難で一文無しから急場を立ち上がる手練手管こそ女の渡世の強かさだ。ただ、そのどこか可笑しみさえ覚えるようすが一度は死ぬつもりだった男、ビンの余生の虚ろさに全くそぐわない。
 だから、シャオとの再会に追い込まれたビンが本当に縒りを戻すつもりなのかなんなのか、ならば、シャオもまた、この男を信じたのか、それとも新天地チベットUFOツアーなんぞと調子のいい奴に絆されたこころの揺らぎに負けてみようかと迷うのか。ともあれ、いい羽振りの三峡ダムで知らぬ他人の慰謝料を元手に故郷の大同に帰るのだが、待ち人は実に車椅子で戻ってくる。

 それが成金社長の報復ではなく昔の遺恨の果てでもない脳出血というので気が抜けてしまうが、時代はさらに先、決着はいのちの遣り取り云々ではなくなっているのだろう。ところが、大同では依然として昔の面子が無為徒食にくすぶりながらもビンを兄貴と慕ってくれる。シャオに養われ更にこの情けを受けてはビンにはただ重荷となるのも当然だ。
 リハビリの末どうにか動ける身となって姿をくらますそっけなさに、そういえばこのふたり、シャオも一度も祝言を上げようなんて話がなかった事に気が付く。それが二人で渡る渡世のしきたりなのか、実はそんな二人なわけなのか、唇も重ねることなく終わるシャオの姿がひとかけらの主観もまじえぬ監視映像に映されるだけとなる。
 追えば追いつくに決まっているのにシャオはこうなる事を渡世人の本能で予期していたのだろう。そして、そうなる事こそかつてのビンの甦りの証しとなるとも信じたのだろう。しかし、凝然として動かないシャオにもの悲しさを覚えたなら、出過ぎた事をと殴られるに違いない。
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