あきらむ

愛がなんだのあきらむのレビュー・感想・評価

愛がなんだ(2018年製作の映画)
4.0
テルちゃんがマモちゃんを好きになるが好きになるほど愛されなくなり、執着を増していくが絶妙な距離感で関係を保つ話。
愛がなんだ!と叫ぶテルちゃんはもう狂っちゃってる。わかるけど、わかるんだけども人間愚かすぎ!!もっとさ!!自分を省みろ!(ブーメラン)となる映画。

好きになった方が負けという古典的な恋愛の法則がある。
好きの気持ちを大きく向けられている方が主導権を握ってしまい、裏切られる心配がないから好き放題するという構造。
テルコは自分をそっちのけでマモちゃんにつくしすぎてどんびかれていて、どう見てもやっちゃいけないことを率先してやっている。自分の都合で連絡を無視したり自分の都合を優先することが出来ない、これが度を越している。誰が見ても引くのに、恋は盲目?
やってることはわかるけどかなりテルコは気味が悪い見た目がうさぎっぽいだけに余計に怖い。1人でニヤついてるシーンとかわかる部分もあるし最初は可愛げがあったけどどんどん怖くなってくる。しかし、テルコがやっぱり自分がおかしい?と周囲を見て一瞬我に返る瞬間があり、こういうのリアルだなと思う(同僚の結婚、バイト先の女のベビーカー付き自転車を見て真顔になるテルコ)。主導権のバランスとかを全然考えていなくて、友人に諭されるが狂気まっしぐらである。

この作品で私が一番ラブなのはナカハラである。テルちゃんの友人の葉子と、これまた奇妙な関係を持っている写真家の男。ビジュアルも不細工ではないもささで、良い。自分に興味が無いのが服装からでもわかる。絶妙にダサいトレーナー、登山に行くようなリュックなど。マモちゃんよりよほど可愛げがありラブである。カッコイイ葉子は主導権を握るために絶対に中原に好きとは言わないし自分から適当に呼び出し適当にセックスし適当に放り出す。そんな扱いをされても中原は彼女が寂しい時に最終的に思い出される人でありたいと微笑む。健気すぎ、自己犠牲すぎ、なんだけど居心地悪いのに心地よいみたいな関係性にどっぷりハマってしまっている。しあわせになりたいっすね。
後半で、本当は自分はもう辛い、と暴露し自分が葉子をダメにするのだという都合の良い解釈(自分でわかっているのにそう解釈しないと心が死ぬから)して、執着を続けるテルちゃんと対立する場面で涙が出る。セブンイレブンの前だぜ、彼女の友人の前だぜ、情けないけど何だかかっこいいんだよ、葉子の悪口最後まで1個も言わない。葉子さんには寂しいとかないんだと言い残すナカハラ、強い人間に寂しさはないのか?自分が弱いと思っている人間には、魅力的な人間が完全無欠に見えてしまう。そこに嫉妬し憧れ、自分もその人の1部になりたいと思う、それもすきの気持ちのひとつなのだろうか?

多分葉子ちゃんは強い女でありたいと同時に関係性が変わるのを恐れてあえてやっている。本当は寂しくても寂しいと言ったら負けになっちゃう、主導権を握られちゃうから、なんだかんだいって葉子ちゃんも辛そうなのだ。それにひきかえマモちゃんは計算とかなくただ馬鹿なのかな?としか思えず、テルコにとってはもうそこがまた良いとなってしまっているのかも。

それぞれの人物が痛さや愚かさを抱えて恋愛をしている。恋は盲目、愚かというが恋愛をすると自分の醜さと無理やり向き合わされる、そこから逃げれば逃げるほど狂ったりズレて言ったりしてしまう、しかし全く逃げなくても壊れてしまう、そんな苦しさを描いた作品でした。