まりぃくりすてぃ

ザ・レセプショニストのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

ザ・レセプショニスト(2017年製作の映画)
1.9
訴えかけてくる撮影(手持ちの時の揺れを最小限に押さえてるし)だけで持ってる映画。ほかの要素は全滅。
誰に向けて何を言いたい映画? さっぱりだ。「働く意志があるのに、英国の若者も、移民も、職にありつけない。そんな社会を少しでも正したい」なのか「世界から売買春をなくしたい」なのか「すべての性労働従事者に労働者としての権利と尊厳を」なのか、どれでもいいし全部ノセしちゃってもいいし非力な問題提起で終わってもかまわないけど、主張する意欲を見せてくれなきゃどこにも何も届かないよ?

ラストらへんで、結局、美人女優二人(主人公ティナ役&先輩ササ役)を最も大事な二人として心友同士として撮ってみたかっただけの映画ってことがよくわかった。単・な・る・美・人・映・画。それがプロデューサーの望みか女性監督自身の性向なのかは、知らないし興味もないけど、さんざん新人アンナ役のブスっぷりを珍味っぽく印象づけておきながら、エンドロール前に「この映画をアンナの霊に捧ぐ」とか、白々しい。不美人な脇役になど愛情持ってないくせに。
ところで、鏡の中でササに後ろからティナが抱きついたシーンで、顔を間近く並べたササとティナの、鼻が、完全に同じ形をしてて、面白かった。一人または両者が、美容整形してるんだろうね。
マリは何でもお見通し。。。。

シナリオは、ササもアンナも女主人リリィもオバカな小娘メイも、うわべだけしか描いてない。
死力を尽くしてシナリオを書かない者にマリは厳しい。。。。

にしても、ティナ役は、何か一つでも私たち素人ができないことをやってみせてこそ、女優でしょ? 脱ぐでもなく涙を流すでもなく、何のための主演?(彼女に娼館で男から投げかけられた題名は、“上玉”と訳されてた。)
まったくどうでもいい演技ばっかりな中、クズ男フランクとティナとの別れのシーンだけ、迫真。これはティナ役が心底「売春は醜業」って思ってるからやれた演技。そのことが哀しい。醜業を醜業としてキャストら(やスタッフら)が憎んで何になる? 嫌悪は映画作りのスタートであるべきでしょ? そこからどこに進みたかったの?
何度もいうけど、たっぷり時間あったのにどの人物も表面的にしか描かず、(撮影者以外の)制作者たちの心が全然こもってない。人間というものに興味ない人たちが作った映画にちがいない。


エンドロールの文字の並べ方が美しかった。センスあるね!