ラウぺ

ヒトラーと戦った22日間のラウぺのレビュー・感想・評価

ヒトラーと戦った22日間(2018年製作の映画)
3.4
ユダヤ人の絶滅収容所のうち、唯一組織的な脱走が実行されたソビボルでの事件を描いたロシア映画。

ソビボルは絶滅収容所としては規模が大きく、ベウゼツ、トレブリンカと並んで三大絶滅収容所のひとつとされていますが、ソビブルだけでおよそ25万人が殺害されたとのこと。
アウシュヴィッツなどの強制収容所と違い、絶滅収容所は移送されてきたユダヤ人を長く居住させる必要がない(使役に使われる一部の人間以外はほぼその日のうちに「処理」される)ので、膨大な犠牲者数の割には小さな施設で、ドイツ人の親衛隊員20-30人と100人ほどのウクライナ人が運営・管理にあたっていたようです。
蜂起の指導者アレクサンドル・ペテルスキー(通称サーシャ)は赤軍の捕虜として他所での脱走経験もあり、仲間の赤軍での従軍経験者とともに組織化しやすい好条件が揃っていたことは確かだと思われます。
強制収容所に送られた殆どのユダヤ人はなす術もなくガス室送りとなったことを考えれば、ソビボルの脱走事件はホロコースト史上でも、特筆に値するエポックな出来事であったことは間違いありません。

とはいえ、実際の事件の歴史的重要性が高いことと映画の評価が比例するか?というと、それはまた別の話。

映画はサーシャ達がソビボルに到着してから蜂起するまでの22日間を描いていますが、収容所内でのユダヤ人の描写はいささか類型的で、登場人物の脱走までの伏線としての描き込みが少々弱い気がします。
また残虐極まりないドイツ兵の描写もオーバーでマンガチックといってよく(看守達が宴会でユダヤ人に荷車を曳かせて「ベン・ハー」の戦車競走のようなものをさせるところなどは特に)、現実感に乏しいと言わざるを得ません。

そこで、ソビボルでの生存者にインタビューしたクロード・ランズマンの「ソビブル、1943年10月14日午後4時」を見直してみましたが、収容所内での看守の様子に言及するところは殆どなく(気まぐれにユダヤ人の頭を狙って発砲する、という話はある)、一方で、看守を殺害して脱出に至る過程のディテールは明らかにこのインタビューを参考にしたと思われる箇所があるので、製作者はこれを参考にして脚本を書いたとみて良いでしょう。となると、看守の残虐ぶりを示す部分は、この映画のオリジナルとみるべきだと思います。
創作だからといって、看守の親衛隊員たちの責任が1mmでも軽くなる、というわけではありませんが、この映画のキモでもある看守の胸糞悪さについては、そのまま鵜呑みにせず、ドラマとして一歩引いて見る必要があるでしょう。

また、映画の大詰めで大量脱走に至ってから、望遠でスローモーションを多用する場面が連続しますが、そのおかげでテンポが遅くなり、抑え込まれたものが爆発するカタルシスを削いでいるように感じました。

ソビボルで何が起きたのか?を知るためには、本作の他に「ソビブル、1943年10月14日午後4時」を観た方が、予断を持たずに実像に近づくことができるのではないかと思います。
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