Ricola

砂塵のRicolaのレビュー・感想・評価

砂塵(1939年製作の映画)
3.9
わたしの大好きなマレーネ・ディートリッヒと、「アメリカの良心」の象徴的俳優のジェームズ・スチュワート。
この二人の競演によって、王道な筋書きの西部劇もさらに華やかかつ印象深い作品へと強化されていたに違いない。

悪い奴らが牛耳る町の治安を良くするために、外部からやって来た新しい保安官。
美しい情婦も保安官のことを最初は目の敵にしていたが、彼の誠実な人柄に惹かれていく。
この展開はよくあるものだが、西部劇とは普段畑違いのディートリッヒとスチュワートがこの典型をなぞらえることに意味があるのだろう。


この町では、日常的に銃で撃つことが当たり前となっており、秩序が乱れていることがうかがえる。
酒場の人々はテンション上がると、拍手するがごとく天井などに向けて発砲する。
ある妻は情けない夫に銃を持ち出して脅すくらいである。

そんな町および人を変えるために現れたデストリーという新しい保安官は、銃を全く用いないことから皆に馬鹿にされる。
そのためあまり味方を得ることができず、妻の前夫の名のキャラハンと呼ばれているボリスやアル中の前の保安官という頼りないメンバーを率いる。しかし彼ら(特にボリス)は笑いを呼ぶし、町に染み付いた銃至上主義の考え方を根本から覆していくのだ。

そして、やはり特筆すべきは主演の二人である。
マレーネ・ディートリッヒの美しさと魅力は言うまでもないだろう。
彼女演じるフレンチはこの町の実質的なボスだと言われる。酒場で歌やパフォーマンスを披露するだけではなく、町長らの悪事に加担したり、弱い立場の市民を騙してあざ笑う姿はまさにボスであり、同時に市民たちの高嶺の花でもある。
作中で披露される男装でのパフォーマンスなんかは特に、ディートリッヒのイメージそのものだろう。

一方のジェームズ・スチュワートも、普段通りのパブリックイメージからかけ離れることはない。『スミス都へ行く』の役柄と同様に、市民の味方なのである。
彼の飄々とした雰囲気が、誠実さをむしろ強調する。

2大スターの共演にどうしても注目してしまったが、コメディ要素の強い西部劇というストーリーとしても十分楽しめる作品だった。
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