焦げすーも

僕たちは希望という名の列車に乗ったの焦げすーものレビュー・感想・評価

4.6
鑑賞中は「僕たちは希望という名の列車に乗った」という邦題が、映画のストーリーとはややズレているように感じられたが、数時間経って反芻してみると、劇中での「希望」の意味の捉え方次第だと気付かされた。
高校生たちが行った些細な黙祷でさえも体制批判と捉えられ、家族と友人のどちらを取るか迫られるほど抑圧された社会。あのベルリン行きの列車に乗ることとは、あくまで括弧つきの「希望」である。家族を犠牲にし、逮捕されるリスクを引き受けた上で、すがりついた一筋の光。ただ、選ぶことのできる選択肢が限られている中、必死にもがきながら自己で選択した道は、確かに「希望」の名にふさわしいのかもしれない。主人公のひとりであるテオが皆に言った「自分たちで決めろ!」という言葉の重さを噛みしめる。

心にズシンと重石が載せられたようなストーリーなのだが、その中で一番重かったのが、黙祷に対して消極的だったあの登場人物の結末。仲間を売るか父の名誉を汚すかの二者択一を権力から迫られる。そこでとった行動が、父が過去に行ったのと同様裏切り行為になってしまったのが本当に悲しい。そして、心の弱い者を一切の容赦無く切り捨てた戦時中の歴史を思うとさらに悲しくなる。

また、ナチスという思想だけでなく、そこに関わった人間を徹底的に叩き、死者を弔うことすら咎めるシーンに引っ掛かりを覚えた。靖国神社参拝が問題になるたびに、ナチスを徹底的に批判し戦後補償を行ったドイツを見習えと引き合いに出される。確かに公人の靖国神社参拝は憲法上問題があると私は思うが、それと公人でもない一般の死者を徹底的に叩くことは別だと思う。ドイツの戦後が完全に正しかった訳ではなく、生きている自分たちを正当化する目的で死者を鞭打った側面もあるだろうということを感じさせられた。
焦げすーも

焦げすーも