さとり

ホテル・ムンバイのさとりのネタバレレビュー・内容・結末

ホテル・ムンバイ(2018年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

「武装した男たちは、‘‘神は偉大なり’’と叫びながら銃を乱射しました。」
というニュース速報を、全世界にいる私たち傍観者は何度も耳にし、どんよりする。一方でこの伝え方は、神は偉大なりと言いながら銃を乱射する事を良しとしていない側からの伝え方であると思う。
私はこの映画を観て、そう叫びながら人間を撃ちまくる彼らの訳を目撃することになった。

物語は、抽象的だけれども人々を鼓舞する内容のアナウンスから始まる。船旅の話だっけ?と思った次には、「あ、。実行犯だ」とわかる。彼らは彼らの信じる思考を背に、静かに心を整える。

このアナウンス内容は、実際を元にしたやつなのだろうか?それとも完全フィクション?実際であればいいのだけど、もしフィクションなら私たちはこれをフィクションだと確実に認識しないと、彼らに対しまた誤った理解をしてしまうことを忘れてはならない。


目的地に到着した彼らはまた心を整える。そう、彼らだって心は整えてから行くのである。同じ人間じゃないか。
そして覚悟して撃ちに出る。「作り出された貧困」を恨みに。

次々と人を撃ち殺していく映像は、これが映画だとは思えない程の臨場感がある。耳は塞ぎたくなるし、飲み物を飲もうなんていう思考には全くならない。十分暖かい映画館で寒気がしてくる。そんな駆け引きが数日続いた現実があったんだ。

私は不遇なことに出くわしたとき、普段は信じていない神様のことを考える。どこかで「神様は乗り越えられない試練は与えないんだよ」と聞いたことがあって、それを鵜呑みにして。で、元気になったらすっかり神様のことなんて忘れる。
一方で彼らは、常に神様がいる。その彼らが大きな事を成すときに、神の名を口にしない理由が見当たらない。

この作品の中で、男たちが、「神は偉大なり」と叫んでいたシーンは、自身を奮い立たせる時であったと思う。怖い、でも兄弟のために進むべきだと思う時、投げられた手榴弾によって自分が死ぬと分かった時。
私はもう死ぬのか!!でもこれでいいんだ!!神は偉大であるから!この身をささげるのだ!!と。「神は偉大なり」と叫ぶのはこのためだと思う。
なぜなら、人間は苦しみながら死ぬのは怖いから。
テロでホテルに取り残された人も、足を負傷した実行犯も、家族に電話したものなら、まだ生きている事に喜ばれる。
そう。私たちはみな、生きて帰る事を望まれているし、望んでいる。

私はこの作品を観て、もちろんホテル・ムンバイの戦士の事を讃えたいと思う。いつか泊まって花を送りたいと思う。
加えて、早々に家族のもとに帰った従業員も1人の人間としての選択だから責めることなんてない。「ホテルムンバイの戦士」と言われれば言われるほど、帰った従業員達は居場所がなくなるのではないかと思う。けれど、あなたが死ななかったお陰で、安堵した家族は確実にそこにいるから。その人達の心の安寧をあなたは届けたのだから。

この作品で実行犯の彼らのことを考えるヒントをくれたと思う。

思考ってなんだろう。正義ってなんだろう。。。


物語の序盤、銃を持った男たちが、警察車両を乗っ取るシーンがある。ごく自然に中村医師を思い出す。恨みによって人が亡くなる憎さを私は覚えているから。
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