しおえもんGoGo

天気の子のしおえもんGoGoのネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

どう受け止めればいいかちょっと困るような作品。
まず作画、特に背景の美しさは完璧。特に水の表現はものすごく丁寧で、でも時々偏執的で逆に若干気持ち悪いと思わせるほどの描きこみ。
いずれにしてもこれだけでも見る価値のある美しさだった。

一方ストーリーだけれど、大勢の幸せのために一人を犠牲にしていいのか、それを認識したものは見ないふりをしていいのかという話だと思えば考えさせられるものがある。
また、たとえ世界を滅ぼしてでも一人の女の子と一緒に居たいと思えるほどの愛とか、それを選択せざるを得ない10代ならではの一途さという話だとしても、ありだろう。私が乗れないだけで。

私はあのエンディング自体はあれで良かったと思う。大人ならば理性的な選択をする(してほしい)と思うけれど、それをしないという決断があってもいい。

ただ、何となく収まりが悪いのだ。
例えば拳銃問題。拳銃が出てきてしまったばかりに、陽菜と帆高の前に立ちふさがる壁として「一人を犠牲にしてみんなを助ける」という理性的な選択、一人の犠牲を見て見ぬふりする人たちの役割になぜか警察がいてしまう。でも警察って別に「一人を犠牲にしてみんなを助けろ」と言ってるわけじゃない。警察に追われているのはあくまでも帆高が拳銃をぶっ放したりしたから。彼らは全く別の軸でこの世界を守っているだけなのに、なぜか敵のような位置づけになってしまっている。

晴れ女の仕組みも微妙に分からない。陽菜が選ばれた存在なのか、あの廃ビルの鳥居という地理的な問題なのか。誰が彼女を晴れ女にしたのか。人柱になるのは天気を操った回数の問題なのか。

こういうのが積み重なって、全体として帆高(と陽菜)が勝手に抱え込み、勝手に回りを敵対視して反抗しまくってて空回りした挙句、勝手に悲劇のヒロインみたいに行動しているように見える。
なんか当たり屋みたい。

せっかくオカルト雑誌に勤めてるんだから、各地の伝承を探すとか、晴れ女の伝説をもっと深堀するとか、状況を改善するための行動をとってほしかった。

それが無いから帆高が非常に独りよがりの中二病にしか見えない。
まさにそんな「中二病の少年が奮闘する様子」が描きたい映画ならいいのだが、どうもそんな感じも無い。あくまでも「一人を犠牲にしない選択をする愛」っぽく見えるから、なんか収まりが悪い話になっていると感じた。
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