現在下高井戸シネマで上映中(月末で終わりだが)のアキ・カウリスマキ特集で観ました。アキ・カウリスマキは7~8割くらいは見ているけどこの『ラヴィ・ド・ボエーム』は未見。こういう貴重な機会を作ってくれる名画座はありがたいものですな。
まぁ映画の内容というか概要というかはいつものアキ・カウリスマキで、彼の作品をいくつか観たことがある者ならいつもの感じねってなるような作品であろう。お話は売れない小説家と売れない画家と売れない音楽家がパリの貧乏アパートで出会って意気投合し、貧乏暮らしの中でもそれぞれが成功の夢を見ながらも大衆的ないかにも売れ線なゲイジュツには迎合せずに(というかできずに?)我が道を行きながら生きていく姿を悲喜劇的に描いたものである。
なんだいつものアキ・カウリスマキか、と思ったあなた、はいそうです大体いつものアキ・カウリスマキです。と言いたいところなのだが個人的には多分『浮き雲』が初アキ・カウリスマキでその後『過去のない男』からは全部劇場で観てる俺としては本作『ラヴィ・ド・ボエーム』は何だかんだ若くてパワフルな映画だなという印象が強かった。やってることはぶっちゃけいつものあれねっていう感じで(というか遡って観たのだから逆説的にすでに本作の時点でアキ・カウリスマキの作風は完成していたと言うべきだろうが)目新しさは特になかったのだが、社会の底辺で暮らす者たちを描く際の笑いのパワーも悲劇のパワーもどちらも00年代以降と比べると強烈でストレートに力強く分かりやすい表現になっているというのが新鮮でしたね。
友情とか恋愛とかほんのひと時の成功とかが、登場人物はおじさんおばさんたちなのにまるで青春映画のように鮮烈に描かれるのがアキ・カウリスマキ自身の若さにも思える強い筆致で描かれているのがグッとくる。これがあと10年もすれば良くも悪くももっと達観してドライな感じになりつつも、取ってつけたような都合の良いハッピー(というほどではないが…)な着地点を見せて良くも悪くも軟着陸するような作風になるんだけど、この『ラヴィ・ド・ボエーム』はラスト含めて凄く強く尖った作品だよなって思いますよ。タイトル通りにボヘミアンとしての生き方にはそんな分かりやすいようなハッピーエンドや安住の地はないんだよ、でもそれを選んだならそうやって生きていくしかないという決意を感じるようだ。
特に後半は凄く呑気なシーンとすごく残酷なシーンが交互にやってくるような構成になっていて、そのどちらもが人生の中では表裏一体紙一重で常にそこにあるものなのだという感じが生々しく感じられる。そこのふり幅の大きさが劇的で面白かったですね。
すげぇ適当に生きていくこととすげぇ適当に死んじゃうことは多分同じことなんだろう。でも本作のようなソリッドな作風からもっと緩い作風、もっと言えば本作のメイン級と同名の登場人物が出てくる『ル・アーヴルの靴みがき』にこれが繋がっていくのだと思えばその変遷は非常に納得がいく。イオセリアーニなんかは若い頃から晩年までずっとゆるゆるなおっさんだったんだろうなと思うが、アキ・カウリスマキはそれと比べるとあれで結構若い頃は尖ってたんだなって思いましたね。ま、だからこそ21世紀以降のアキ・カウリスマキ作品がグッとくるというところはあるのかもしれないですが、本作はその辺を気付かせてくれたので観てよかったです。面白かった。