ラヴィ・ド・ボエームの作品情報・感想・評価

「ラヴィ・ド・ボエーム」に投稿された感想・評価

画家のロドルフォは作家であるマルセルと知り合い、追い出された家に行く。
するとそこには次の住人である作曲家のショナールが住んでおり、なぜか3人の共同生活が始まる。

カウリスマキ作品らしく、設定に疑問は持っても次々進んでいくから、まるで気にならない。
大袈裟に声を荒げる人物もいないし、感情に右往左往されることもない。

だがその中で光る人間関係や、恋愛などが印象的になる。

今時有り得ないようなセンチな展開だが、それがカウリスマキ作品では胸を打つ仕上がりになるのだ。
一人旅

一人旅の感想・評価

3.0
アキ・カウリスマキ監督作。

作家マルセル、画家ロドルフォ、音楽家ショナールの3人の共同生活の模様を描く。

あまり好みではなかったけど、つい笑ってしまうシーンはある。
音楽家ショナールが新作を披露する場面は特に可笑しい。ドイツ映画『4分間のピアニスト』のクライマックスの演奏から芸術性を全て排除したような迷曲。ピアノの側面を叩いたり奇声をあげたりしていて、果たしてあれはピアノ演奏と言えるのかどうか・・・。
前衛過ぎて誰も理解できないという異常事態。普通だったら聴いてる側は笑うだろうけど、そこはカウリスマキ。誰一人笑わずシリアスな表情で演奏を聴いているではないか。
理解不能な演奏と無表情な人々。あまりのシュールさに思わず笑ってしまった。

ラストシーンで突然「雪の降るまちを」が日本語で流れたことに驚き。これもまたミスマッチの妙だ。
ヒカリ

ヒカリの感想・評価

5.0

このレビューはネタバレを含みます

ヘンテコ3人がとっても愛おしくて堪らない…
今まで見てきたカウリスマキの映画で1番好きかもしれない。教訓めいてないのもまたいいのかな?

今年度も今日で終わり。
今年度は本当にざっくりと、初ドライヤー鑑賞、エリックロメールをたくさん見た、ブレッソンやっぱりすごい
と感じた年。(本当にざっくり)

【2021年度:印象に残っている旧作映画】
ブレッソン「やさしい女」
タルベーラ「ダムネーション天罰」
カウリスマキ「ラヴィドボエーム」
ロメール「クレールの膝」
ドライヤー「奇跡」

明日から頑張ろう、また100本!
ROY

ROYの感想・評価

4.1
親しき友と愛しき人と、やるせなき巴里、うたかたの夢。

ボヘミアンの画家、作家、作曲家。心やさしき三人組の気ままな日々を、悲恋の涙も甘く切なく、仕掛けにとんだきらめく映像で描いたカウリスマキのモダン・ノスタルジー!

原作はアンリ・ミュルジェールの『ラ・ボエーム』

英題は『The Bohemian Life』

■INTRODUCTION
パリを舞台に、芸術に身を捧げつつましい暮らしをしていた、画家、作家、音楽家の3人前に、ある日、一人の美しい女性が現れる・・・。

■STORY
古き良き時代の芸術の都パリ。画家のロドルフォ、作家のマルセル、音楽家のショナールの3人は、金はないが気品を保つボヘミアンの生活を送っていた。ある晩、ロドルフォは美しい女性と恋に落ちるが、間もなく彼の不法在留が発覚、アルバニアに強制送還されてしまう。時が経ち、パリに戻って来た彼は、また昔のように仲間たちと幸せな時を過ごすのだが……。

■MUSIC
◯Damia / Chantez Pour Moi Violons + Pour un Seul Amour
◯Rainer Sandqvist (as Sacy Sand) & Ossi Aallon orkesteri / I Cross My Fingers
◯Mauri Sumén / Chanson de truite morte + Adieu Rodolfo
◯チャイコフスキー / Serenade in C major for String Orchestra
◯The Fake Trashmen / Bird Dance Beat
◯Little Willie John / I’ve Got to Go Cry + Leave My Kitten Alone
◯Marcel Mouloudji / Pour tout l'Or du Monde
◯セルジュ・レジアニ / De Velours et de Soie + Je Bois
◯Georg Ots / Non piú andrai
◯Kari Väänänen / L’Influence du bleu dans l’art
◯トシタケ・シノハラ / 雪の降るまちを

■QUOTES
「アラブ原産のコーヒーは最初ヤギが発見した。バルザックは1日に72杯も飲んだ」

■NOTE I
アキ・カウリスマキは、その作品の見た目や態度から、小さな暗黒の雲に影を落として地上を歩く『Li’l Abner』のような人物だと思われるでしょう。その雲は、ひどく落ち込んだ猟犬のように忠実に彼の後を追う。それは、ほとんど愛情に近い。しかし、雲は太陽を完全に遮るほど大きくはなく、半陰影の中で生きる人生は時に驚くほど豊かである。

豊かでないにしても、憂鬱ではあるが、それほど貧しいわけでもない。

プッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》のモチーフとなったアンリ・ミュルジェールの小説を、カウリスマキが冷静に面白おかしく、ゆったりと、自由にアレンジした最新作『ラヴィ・ド・ボエーム』は、そんな彼の特異なコメディの世界観を表している。カウリスマキはプロダクションノートで、この映画は作曲家のブルジョア的空想からムルジェの作品を救い出すための彼の方法であると述べている。つまり、“a bas Puccini!”

『ラヴィ・ド・ボエーム』はニューヨーク映画祭で今夜9時15分と明日午後3時に上映される。

カウリスマキは、持ち前の豪快さと相反する不吉な感覚を持ち続けている。パリで撮影されたにもかかわらず、彼の『ラヴィ・ド・ボエーム』の舞台は、なぜかヘルシンキの忘れられた片隅にあるような街だ。映画の中で季節が何時だと言われても、それはいつも、冬が春の端にありながら春に道を譲らず、寒さと湿気が命の季節のようである。

カウリスマキはミュルジェール原作の環境を再発見するように、ミュルジェールの登場人物のアイデンティティを再構築した。ロドルフォ(マッティ・ペロンパー)は気難しく無愛想な男で、正規の身分証明書を持たずにパリに住んでいるアルバニア人の芸術家である。マルセル(アンドレ・ウィルム)は、おそらく飲酒運転で免許を剥奪されたトラック運転手のようだ。初対面のマルセルは、セミコロンさえ切ろうとしないため、21幕の劇を却下される。また、いつも不機嫌な顔をしているショナール(カリ・ヴァーナネン)は、『The Influence of Blue on Art』と名付けた作品を制作中の作曲家であり、自分の芸術に対する強いこだわりを持っている。

結核のミミ(イヴリーヌ・ディディ)と平凡なミュゼット(クリスティーヌ・ムリーニョ)という女性たちは、愛する男たちの光をぼんやりと反射させるためだけに存在するのである。

カウリスマキは、世界最悪のポルカバンドとそのアメリカ、メキシコでの悲惨なロードツアーを描いた『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』で、この映画のコミカルな意図について手を触れずにはいられなかった。無口なポルカバンド奏者の集団が、笑い以外のものに見えるわけがないのだ。ロドルフォ、マルセル、ショナールは、しばしばポルカバンド奏者に劣らず狂っているように見えるが、彼らの懸念はまったく深刻である。

『ラヴィ・ド・ボエーム』の中で、ロドルフォはコレクターになろうとしている男(ジャン=ピエール・レオ)の肖像画を描くという大きな依頼を受け、マルセルはサミュエル・フラー演じる蟹工船の出版業者に雇われ、『Girdle of Eris』という雑誌の特別号の編集を担当することになる。彼らがこれまでどのように依頼をこなしてきたのか、映画の中の芸術家たちは酒を飲むだけでなく、歌う必要もないのに、なかなか見えてこない。

ある時、マルセルは、おそらく自分の戯曲を『Girdle of Eris』に掲載したことで解雇された後、オペラのリブレットを思わせる台詞で、こう平然と言い放つのだ。「私たちは落ち込んだりしない」。マルセル、ロドルフォ、ショナールの3人はすでに落ち込んでいて、もう上がるしかない、というのがカウリスマキのジョークだ。

出演者は、ペロンパーとヴァーナネンというカウリスマキの初期の作品に出演したベテラン二人と、フランス人俳優のウィルムで、彼がカウリスマキ組でないことが不思議なほど、それにふさわしい硬い顔と陰気な表情をしている。レオは、突然、快適な中年に達した男のように見え、小さいが重要なコミカルな役で格別の出来栄えだ。彼がロドルフォに依頼した結果、最終的に出来上がる肖像画は、実はピカソの《ガートルード・スタインの肖像画》を示唆しているのである。

カウリスマキはカラー作品も撮っているが、『ラヴィ・ド・ボエーム』はモノクロの方が気質的に合っている。この作品は、芸術や恋愛の慣習をあざ笑いながら、同時にそれらを唯一の救いの手として崇め奉る、欺瞞に満ちた上質の喜劇である。間違ってはいけない。カウリスマキはオリジナルであり、映画界で最も個性的で特異な新進作家のひとりであり、おそらく最もシリアスな作家のひとりであろう。

Vincent Canby. Review/Film Festival; Kaurismaki's View of Bohemian Life in Paris, Sans Puccini. “The New York Times”, 10-09-1992, https://www.nytimes.com/1992/10/09/movies/review-film-festival-kaurismaki-s-view-of-bohemian-life-in-paris-sans-puccini.html

■NOTE II
アキ・カウリスマキは、1896年のプッチーニのオペラにインスピレーションを与えた1861年のアンリ・ミュルジェールの小説を、埃のように乾いたミニマルなアプローチで『ラヴィ・ド・ボエーム』にアップデートした。しかし、リリアン・ギッシュがミミを、ジョン・ギルバートがロドルフォを演じる、有名でロマンチックな1926年のキング・ヴィダーによるサイレント版よりも意外に感情的になっている。

カウリスマキの描く人々は、薄汚れた中年で、ひどく貧しい芸術家ばかりで、イーゼルやピアノやタイプライターよりも、近所のカフェで赤ワインを飲んでいる時間の方が長いのである。マッティ・ペロンパーが演じるロドルフォはフランスに不法滞在しているアルバニア人画家で、イヴリーヌ・ディディが演じるミミは可愛らしいが、40歳を過ぎたバーテンダーである。実際、ロドルフォは仲間のマルセル(アンドレ・ウィルム)と一緒にいる時間が長い。マルセルは27幕の芝居をするが買い手がつかず、ショナール(カリ・ヴァーナネン)は前衛作曲家で、そのうるさい作曲は他の誰よりもあなたを感動させないだろう。

カウリスマキはフィンランドを代表する映画監督であり、世界で最も滑稽な監督の一人である。彼らの虚勢と妄想をユーモアたっぷりに描いた彼の死語は、いつの間にか彼らに対する限りない愛情へと変わっていく。何が起こっているのか気づかないのは、いつもの撮影監督ティモ・サルミネンの彫刻のような白黒画像と絶対最小限のカメラの動きで特徴付けられるカウリスマキの厳格な厳格さによるところが大きい。このアプローチは、仲間意識と真実の愛を称えることに終始する映画において、感傷を短絡させるのに最適である。

カウリスマキがやっていることは、単純に、負け犬たちを紹介し、私たちが想像もしなかったほど彼らを気にかけさせることだ。彼らと一緒に過ごせば過ごすほど、彼らがいかに互いに支え合い、どんなことでもすぐに分かち合うことができるかがわかる。彼らは親切で、思いやりがあり、忠実である(それだけでなく、創意に富み、面白い)。

カウリスマキは、彼らが互いに頼り合っている限り、彼らの人生の過ごし方も悪くないと思わせてくれる。貧乏は最低かもしれないが、彼らの夢は実は無害なのかもしれないし、確かに夢によって支えられているのかもしれない。冷酷な競争社会の中で、自立と自己への絶え間ない誠実さが重視される今、こうした考えはかなりラディカルに思える。

カウリスマキはボヘミアンライフを謳歌する一方で、ミミへの静かな、しかし深まる愛を持つロドルフォを微妙に特別視し、ミミも彼の気持ちに応えようとしている。『真夜中の虹』『罪と罰』などのカウリスマキ作品に印象的に出演しているペロンパーは、表情豊かな黒い瞳、豊かな口髭、深い声、温かい存在感が魅力的だ。彼は、ブルジョワジー以外のブルーカラーに属する人々を辛辣に表現し、控えめなディディ、ロドルフォの金持ちで風変わりな顧客役のジャン=ピエール・レオ、そしてサミュエル・フラー監督(靴の女性ファッション誌のチンケな後援者役)やルイ・マル(親切なレストランの客役)が友情出演した他のキャストも彼をよく支えている。

カウリスマキが喚起するものは設定がすべてであり、彼は主にパリの古い町並みを舞台に物語を展開するが、それはミュルジェの時代から奇跡的にほとんど変わっていない。しかし、カメラが引いて、趣のある屋根のラインがある狭い通りに、厳しく巨大な高層ビルが迫ってくるのを見ると、この映画の登場人物たちを結びつける温かく共同的な精神が、このように巨大で人間味のない建造物の世界でどうやって生き残れるのだろうと考え込んでしまうのだ。

Kevin Thomas. MOVIE REVIEW : Droll 'La Vie de Boheme' Is Still Emotionally Rich. “Los Angeles Times”, 03-18-1994, https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1994-03-18-ca-35503-story.html

■NOTE III
フィンランドの作家アキ・カウリスマキのフィルモグラフィーの入口として、1992年の『ラヴィ・ド・ボエーム』は、アンリ・ミュルジェールの『Scenes De La Vie De Boheme』(有名なオペラ《ラ・ボエーム》の原作)に基づいており、素晴らしい出発点となる作品である。カウリスマキ初のフランス映画である本作では、カウリスマキの不条理で無機質なトーンが全開になり、社会の荒波にもまれながら芸術家として生きていく3人組の姿を生き生きと描いている。

作曲家、作家、画家の3人のクリエーターは、自分たちのオリジナル作品を売り込むために、サポートと必要性から一緒に暮らしている。マルセル・マルクス(アンドレ・ヴィルムス)は劇作家と雑誌編集者を目指しており、最新作『The Avenger: A Play in 21 Acts』の出版にかなり苦労している。ロドルフォ(マッティ・ペロンパー)は、パリに不法滞在しているアルバニア人画家だが、幸運なことに、彼の作品を買ってくれるパトロンが少なくとも一人はいた。そして、ショナール(カリ・ヴァーナネン)はアイルランドの作曲家で、極めて実験的な作品に手を染めているようだ。彼らは互いに助け合うことができる幸運に恵まれるが、お金をもらうとすぐに使ってしまう。ミュゼット(クリスティーヌ・ムリーリョ)とミミ(イヴリーヌ・ディディ)の登場は、彼らの生活を少し変え、特にロドルフォはミミに恋をしていることに気づくのである。

モノクロでゴージャスに撮影された『ラヴィ・ド・ボエーム』は、1960年代のヌーヴェルヴァーグから生まれたような雰囲気を持っている。カウリスマキが確立したかったのは確かにこの雰囲気だが、この映画は時代劇ではない。1992年のパリは、もはやミュルジェールの小説の描写や精神にそぐわないため、モノクロで撮影することにしたのは、むしろ時間がこの土地に与える影響と関係がある。パリ郊外で撮影された本作は、快楽主義的で控えめな奔放さを持つ、錯乱するほど正確なムードが感じられる。しかし、『ラヴィ・ド・ボエーム』は、ジャームッシュの10年前のモノクロ作品を彷彿とさせる、陽気で愉快な作品に仕上がっている。

(中略)

ロドルフォがアンリ・ミュルジェールの墓から花束を盗んだり(ボードレールという名の犬も登場)、オマージュやインジョークに満ちていて、この映画は、あまり芸術的ではない苦労人の芸術家トリオのさまざまな失敗を流れるように描いていて、楽な魔法をかけているような感じがある。カウリスマキの前作『コントラクト・キラー』で自殺を望むフランス人としてヘッドライナーを務めたジャン=ピエール・レオは、ここではロドルフォの唯一の弁護士として繰り返し登場するギャグとして返り咲いた。そして、不運なマルセルを雇って文芸誌を運営させる雑誌のオーナーとして、サミュエル・フラーがカメオ出演している(ルイ・マルも短い出演を果たしている)。特にマッティ・ペロンパーとイヴリーヌ・ディディが本作の恋愛対象になっている(ディディとアンドレ・ウィルムはカウリスマキの緩やかな続編、2011年の『ル・アーヴルの靴みがき』で再び主演することになる)。面白くてチャーミング、メランコリックで見応えのある『ラヴィ・ド・ボエーム』は、カウリスマキの最高傑作の1つである。

Nicholas Bell. Criterion Collection: La Vie De Boheme | Blu-ray Review. “Ioncinema”, 01-28-2014, https://www.ioncinema.com/news/disc-reviews/criterion-collection-la-vie-de-boheme-blu-ray-review

■NOTE IV
“この珠玉の作品は、その辛辣な外見とは裏腹に、驚くほどの温かさを秘めている。簡単に言えば、この作品は映画界で最も豊かで思いやりのある悲喜劇の1つである”

『ラヴィ・ド・ボエーム』は、移動撮影や画面上のアクションを多用しても、他の映画では得られないようなインパクトを、単純な動きから引き出すことに成功している。原作小説のタイトルは「ボヘミアン生活の情景」と訳されているが、このタイトルは映画や著作集と同様に絵画や絵画群にも当てはまりそうだ。カウリスマキの深焦点ショットは、スクリーン上のコメディの偉大な監督の多くを定義するディテールとデザインへのこだわりで満たされている。ジェリー・ルイス、フランク・タシュリン、そしてカウリスマキと同世代のロイ・アンダーソンなど、スクリーン上のコメディの偉大な監督たちを特徴づけるディテールとデザインが、カウリスマキの深焦点ショットには詰まっている。

しかし、色彩豊かな風景や凝った仕掛けとは異なり(特にアンデルソンは、舞台マジックの伝統にのっとった「どうだ!」と言わんばかりの芸当ができる)、カウリスマキの構図は、登場人物が仮に動き回る一連の静物画のような印象である。最初のショットは、詩人マルセル・マルクス(アンドレ・ウィルム)が激しく転倒する前にゴミの山をかき分け、困惑した様子で体を起こし、この苦境について呟くところを捉えている。彼はどうなると思ったのだろう。

この「静」と「動」の間が、『ラヴィ・ド・ボエーム』独特の感性を生み出す。枯淡な喜劇調でありながら、夏のピクニックで弦楽器の調べにのせて登場人物が語る言葉のないシーンのように、純粋で自由な感傷の余地もあるのだ。

しかし、多くの場合、登場人物はフレームの中にじっと立っているか座っているかで、原画の高値提示や新しい仕事のための旅費の交渉にあまり抵抗を感じないのである。例えば、ジャン=ピエール・レオー演じる俗物的な収集家が、ボヘミアンの一人に上着を持ってくるように頼むと、どちらの方向にも動かずに数秒が過ぎ、画面の外からマルセルがやってきて、クリーニングに出したと言うのである。

これはなんと奇妙で美しい種類の映画なのだろう。憂鬱な沈黙と笑いの交錯、シーンの焦点としての構図の乱れなど、喜劇へのアプローチに一貫性がありながらも、どんなパターンや解釈にも抵抗している。マルセルは詩をきっかけに雑誌の編集者となり、偶然知り合った画家のロドルフォ(マッティ・ペロンパー)や音楽家のショナール(カリ・ヴァーナネン)に仕事を依頼し、彼の古い部屋を借りてマルセルの生活の中に入り込んでいく。マルセルの大家が、大きなピアノを大切にしている男のために、信頼できない借主を追い出したことを知るシーンは、この映画の大きな笑いどころのひとつである。

しかし、カウリスマキの絵は、大家が再び登場し、借主に苛立ち続けるというようなグルーヴに落ち着くほど予測可能なものではない。3人は互いに楽しむようになるが、認識できるリズムのようなものには決して落ち着かない。今にして思えば、冒頭のボヘミアンライフの小話は、映画の残りの部分の文脈を確立するためにむしろ必要だったのだ。表面的には静かで平凡な物語だが、登場人物たちの人生は、どの場面でも大きく深遠に変化しているのだ。

これらの変化の中には、コメディのネタになるものもある。マルセルがアメリカ人監督サミュエル・フラー演じる出版社と会うシーンでは、出版社が黙って大金を数えるウィルムスの顔がアップで映し出される。その瞬間に、彼の地味な存在の優先順位や、個人的な価値観が変わっていくのがわかる。

登場人物の中で最も大きな変化を経験したのは、ロドルフォがミミ(イヴリーヌ・ディディ)という若い女性と一進一退の恋愛を繰り広げたことだろう。カウリスマキのトレードマークであるスローテンポのロングショットで捉えられた2人のシーンは、先のヴィネットに残された疑問への解答を与えてくれる。そのシーンでは、ショナールがバーでロドルフォに目をかけられた女性を誘惑するために急接近し、ロドルフォの困惑した表情でフェードアウトする。

ペロンパーの表情豊かな口髭の顔には、この映画の葛藤が表れている。永続的な愛と愛情への欲求を断ち切ることがまったく不可能に思えるとき、人はいかにして物質的に安定しない生活を送るのか。ミミは、後半でこうつぶやきながら、二人の関係がいかに困難なものかを示唆する。「愛してるけど貧乏じゃ生きられないわ」。ミミの言葉を裏付けるように、物語は乾いたジョークで終わるのでもなく、外見上は希望に満ちたシーンで終わるものでもなく、ロドルフォが犬を散歩に連れて行くシーンで、深く静かな荒廃が彼をボヘミアン仲間と夜を過ごす気にさせない。

カウリスマキは重要な場面で、沈黙をドライなコメディとは切り離しているのだ。彼の映画は、ボヘミアンの人生だけでなく、愛やお金を手に入れた以上のものを求めたことのある人たちの人生を定義する逆説と緊張に満ちている。彼はその葛藤を、双頭のマス、ゴミの山、そして飼い主を田舎に迎え入れるのを待つ犬で表現している。被写体は貧しいかもしれないが、人間理解と愛において、彼の映画は満ち溢れているのだ。

カウリスマキのデザインをよりよく理解するためかもしれないが、この1992年の作品に時代錯誤の奇妙な印象を与えている。ペロンパーは1995年に他界しているため、俳優のアンドレ・ウィルムだけが新しいインタビューで撮影の感想を語っているが、評論家で作家のリュック・サンテによる心からのエッセイは、この映画のカウリスマキ作品との関連性や原作との関係について多くの視点を提供している。

Brendan Boyle. Scenes from the Deadpan Life: Aki Kaurismäki’s ‘La Vie De Boheme’. “Pop Matters”, 02-28-2014, https://www.popmatters.com/179435-la-vie-de-boheme-2495683603.html
Sari

Sariの感想・評価

3.8

このレビューはネタバレを含みます

アンリ・ミュルジェールの古典文学「ボヘミアン生活の情景」を原作とし、有名なプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の翻案。
アキ・カウリスマキ監督が長い年月をかけて映像化した本作。同年のベルリン国際映画祭では国際評論家連盟賞を受賞。

芸術家の街パリ。ある日家賃滞納のためアパルトマンから追い出された、売れない小説家の男マルセルが、カフェで画家のロドルフォというアルベニアからやってきた男と意気投合する。二人がアパルトマンに戻ると、既に次の住人である、音楽家の男ショナールが居た。そうして、3人の芸術家の男たちの侘しくボヘミアンな共同生活をカウリスマキ監督らしいタッチで描いた作品。


2022年2月9日に逝去したアンドレ・ウィルム(マルセル)を偲ぶ気持ちで鑑賞したが、ウィルム氏が40代と若く、魅力的だが年齢を重ねてより味が増していったのだなと感じた。
全体的に『ル・アーヴルの靴みがき』の俳優陣が多く出ている印象。

ロドルフォ役のマッティ・ペロンパーが殆ど主人公となり、彼が出会う女性ミミ(イヴリヌ・ディディ)との恋愛とが絡んで物語が進んでいくのだが、ロドルフォは不法滞在者で国に強制送還されるなど、愛し合う二人には壁が立ちはだかっていくという切なさとユーモアのバランスが絶妙だった。 ロドルフォのワンレンボブにベレー帽、スカーフなどいかにもパリの画家風の出立ちや、ミミのソバージュ、熱っぽさと潤んだような瞳が良い。
また、ロドルフォの絵を買い付けに、砂糖会社の社長役ジャン=ピエール・レオが真顔で登場するのが笑えるが、最初に依頼する社内に掲げるための自画像がまた絶妙な可笑しさ。


小説もプッチーニのオペラも観たことがないため詳細は分かりかねるが、プッチーニのオペラの出来栄えにカウリスマキ監督が憤慨、復讐心から製作に至ったというから余程思い入れがあったのだろうか。
原作の時代設定が1830年という事で、古き良きフランス映画の雰囲気で一見1992年の映画とは思えないほど、僅かなバケットを皆で分かつほどの貧しい暮らしぶりを、オフビートな乾いたユーモアと、ミニマルな構図をもって見事カウリスマキの作品として成立している。


マルセルが関わる新聞王役にはサミュエル・フラーが出演。ロドルフォとミミがカフェで食事した代金を肩代わりしてくれる優しい紳士に扮する、ルイ・マルの姿も忘れ難い。
侘しさの中で、人の暖かさが染みるような作品だ。
音楽使いが独特で、シャンソン、エンディングでは日本の篠原敏武(しのはらとしたけ)が歌う「雪の降るまちを」が使用され、不思議な郷愁と懐かしさを感じるものだった。


2022/03/03 DVD
もち

もちの感想・評価

3.8
背景に通行人などがほとんど通らないことで、登場人物だけが絵の中で動いているみたいで良かった。
カフェや病院など他の人がいてもほとんど動かない。

“右翼の支持者だぞ””民主を搾取する悪党””あの資本主義者め!” などとカウリスマキの資本主義批判

ショナール(カリ•ヴァーナネン)の三輪の車が可愛くてなんか憎めない笑

ミミ(イヴリヌ•ディディ)がロドルフォ(マッティ•ペロンパー)と再会後、現在の裕福な恋人の高級車ではなく、その後ろに止まってるロドルフォ達の三輪の車に乗ったことで、愛は金じゃない?
と思ったが、その後”愛してるけど貧乏じゃ生きられないわ”と一旦別れた。
その後にまたヨリを戻していた。

全体的にほっこりする話だった。
黄色い家

ちゃらんぽらん芸術家3人

まったく92年作だとは思えない

軽いんだけど軽くない
ちょーどいい

日本人にしか味わえないものもある
mimicot

mimicotの感想・評価

4.0
貧しい生活を強いられる三人の芸術家の共同生活を、アキ・カウリスマキ監督が撮るとどうしてこんなに切なくも愛すべき作品になるのだろう。
貧困と移民問題と友情と恋。
悲惨な状況にいるのに、どこか可笑しくてクスッと笑える。

貧乏に見えない素敵なマッティ・ペロンパー。ミミに"恋するスープ"を作るシーンが好き。
瞳が"愛しさ"と"哀しみ"を演じます。

画家である監督の奥さまの絵?がいい。ジャン・ピエール・レオが無表情で買い付けに来るのも楽しみのシーンのひとつ。

そして一番好きなのは、三人が恋人を誘ってピクニックに出かけるシーン。柔らかい陽射しを浴びて、静かに自然と戯れ語り合い笑い合う。この幸せが永遠であってほしいと願う心地よいシーンだった。

ラストシーンでは、流れる音楽にドキッとした。今は亡きマッティ・ペロンパーに想いを馳せる..

監督の愛犬ライカへの溢れる愛情にも感動しました。めちゃくちゃ可愛いかった🐕‍🦺♡
こ

この感想・評価

5.0
マッティペロンパー好き
ジャンピエールレオが出てたり最後の曲とかも驚きポイント多い
すごく好きな映画でした
mare

mareの感想・評価

4.0
画家と作家と作曲家、三人の売れないアーティストの共同生活となればそこにあるのは創作意欲のみと思いたいが、現実は明日をどう生きるか、金に追われ稼ぎを欲する日々という厳しさを突きつける。金がなければ何事も成し遂げるには程遠く信用もしてもらえない。恋人に貧乏生活を強いることもできない。袋小路の中、男たちのもとに訪れては去っていくチャンスが身勝手な生き物のように翻弄していく。アーティストを志す者は常にジレンマに晒され続け、明日は我が身という思いに駆られる。創作欲とメンタルの戦いは歳をとればとるほど思い知らされる。しかしそんな現実を他所に彼らを見ていると、どのような形であれ愛が一つの到達点であると感慨深くなってしまった。
>|

あなたにおすすめの記事