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ムスタングのotomisanのレビュー・感想・評価

ムスタング(2019年製作の映画)
4.2
 促されなければ死ぬまでしゃべらない、笑みを作らずに済むなら独房に籠ってた方がましかもしれない。そんな男だから刑務所で厄介になってるのか知らないが、それでも作業場の一角の小屋で何かが暴れていれば興味がわくらしい。
 娑婆でもムショでも楽しい事など何もなくても危険そうなものには無知でいられないのが生きものの常だろう、それがただの馬でもだ。なんの取っ掛かりもないような男の稀な好奇心に偶然、監督の好奇心が引っ掛かったような事から、この男ととんでもない荒馬のかかわり、ひいては監督以下同じムショの馬仲間とのかかわりが生れ、娑婆に置き去りにした娘との骨絡みな悪縁にも変化が始まる。
 6週間で荒馬を馴らして競売に掛けるというが、拒絶されてケンカして独房に放り込まれて大嵐への対処で復帰して、では、なにがきっかけで馬が気を許してくれたのか分かるような分からぬような具合だが、その四苦八苦からは西部劇や時代劇で見て来た人馬一体というヤツが不思議に思えてくる。すると犬のあの懐きっぷりの境目なさは謎というべきだろう。人間同士でも男の快挙を馬仲間は一目置くのだろう。
 けれどもそれに比べると実の娘は男が服役した原因の家庭内暴力の被害者であり続けて心は荒れ放題、必要なければ訪ねもしないし、男の方も面会など望める義理でもなく来たものだが、今更な父親の心の変化もいぶかしく、馬でどうしたとか、言い訳がましい事件への釈明も謝罪も受け止めかねる。あらためて二人の溝の深さが男が心を開くほどに深まっていくのがよく分かるが、たぶんこの溝を埋めたいならその深さを男が見つめなければならないのだろう。そのためには、競売の晴れ舞台での不幸な失敗を受け止め、それに続く荒馬の殺処分、それを避けようと馬を逃がして自分は脱獄の現行犯逮捕、刑の追加にも甘んじ、事の成り行きと自分の心の機微を物語らなければならない。
 あの場でマーキスが暴れたことに昔の捕まった時のヘリコプターの記憶が戻ってなんて、男も馬仲間も監督さえも知る由もないが、それで失敗の矢面に立たされて、社会復帰プログラムも取り止めになって、あの馬に何の未練が残るのだろう。独房の明り取りから覗く先にあの荒馬が訪ねてきては去ってゆくのが幻のようにも見える。それでも、娘は手紙をよこしては孫を見せにゆくと告げる。そして刑務所を出る気がないんだろうともいう。悪い思い出だけの父親とバリア越しで触れるだけなら、馬のお蔭なのか変わって来た父親と向き合えるかもしれない。こうして馬が幻になってもこの男はあらたまった心と得たものを失わずに済むのか。それとも、荒馬はまた無口な男を慕って塀の外に居付くのか、そこから「あの時は」と男に訴えるのか、言葉も声も足りない同士の壁越しの付き合いが次の変化を期待させるような気にさせる。
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