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ラストナイト・イン・ソーホーのRenのレビュー・感想・評価

3.0
ライト監督らしいカラッとした楽しさは鳴りを潜め、過去や憧れの負の側面を描き出した新境地といえる作品だと思う。一方で映像的快楽・音楽的快楽は通常運転!

導入の田舎の子が都会に馴染めない感じが辛い。前半は、この孤独から来る恐怖、そして夢(サンディ)と現実が混ざっていく恐怖を描くが、だんだんとその恐怖の対象が変わっていく。このジャンル転換こそキモであり、今作の面白い点。

ただ前半は、上記のような軸こそあれど話が読めず、なかなか入り込めなかった。エドガー・ライトといえば問答無用でライドできる楽しさこそ長所だと思っていたので、そこが過去作に比べて希薄。でもカラフルな照明やお洒落なカット割りや主演の魅力のおかげで観ていられる、っていうバランス。

笑えないセクハラ発言、男性の目で「見られる」怖さは不気味で不快。有害な男性の恐怖が霊的に付き纏う(男性への恐怖とゴーストの恐怖ってイコールなの?とは思いつつ)。その中で、彼女に好意を寄せるジョンや亡くなった母親が、エロイーズを支える・肯定してくれる人物として存在する。だからこそ彼女は、未来へ歩き出すあのラストへ行きつけたのだと感じた。

近年のタランティーノ作品のように歴史改変によって得られる救済ももちろんあるけど、今作は「過去は絶対に変えられない」という思想の下に成り立っている。鏡を通してサンディを目撃するエロイーズ、彼女の声はサンディには届かない。これはまさに現在から過去へ声は届かない=変えられないことの象徴。
それ故に、「過去を無かったことにすることの危険性」「過去を知ったうえで未来を作ること」という、あらゆるカルチャーにとって至極真っ当な帰着になっていた。
煌びやかな憧れの裏に存在した有害性に目を瞑ってはいけない。

トーマシン・マッケンジーにもアニャ・テイラー=ジョイにも特に思い入れが無い(出演作を観たことはあるけど)けど、このキャスティングは正解。サンディは内面描写が少なく残念でもあったけど。というか、主演が人気と実力を兼ね備えたこの2人でなかった場合かなり作品自体が事故ってた可能性が高い。

エドガー・ライトは次の一手にかかってると思う。以前の直球エンタメ路線に戻るのか、『ラストナイト・イン・ソーホー』の社会派を織り交ぜた路線で進むのか。後者はどっちつかずで中途半端な映画になっちゃってた印象もあるし、往年のファンはそういう映画を求めてるのか?とも思うし....。
「エドガー・ライトがシスターフッドものを撮った!」「彼が負の歴史に向き合った作品を撮った!」と褒めることはもちろんできるし、彼のフィルモグラフィの中でも重要な映画ではあるんだけど、そう思えば思うほど粗が気になってしまう。
心意気は素晴らしいけど、それでもやっぱり社会批評映画と取るにはまだツッコミどころはあるし、娯楽映画としても『ホット・ファズ ~』とか『ベイビー・ドライバー』とかもっと面白いのあるしなぁ....と感じてしまうもどかしさがあった。

連想作品
○『PERFECT BLUE』『パプリカ』等の今敏作品
○『ミッドナイト・イン・パリ』
○『ラ・ラ・ランド』
○『プロミシング・ヤング・ウーマン』
○『マリグナント 狂暴な悪夢』



《⚠️以下、ネタバレ有り⚠️》









被害女性の叫びをスリラーとして見せる。美しいブロンド女性といえば殺されるキャラ、の刷り込みを逆手に取ったような展開は、絵も殺害動機もショッキング。

しかし、ミステリー/ホラーとしては凡というのが正直な感想。サンディがミス・コリンズだったという部分も、貸部屋が男性禁制などの要素から絞りやすいし(ニンニクの匂いが死体の腐臭のことを言っていたのは面白かった)。サンディが明確に殺害される場面を映すのも、ミステリー的観点から言うとあまりにアンフェア。もちろん、「最悪な搾取によって “ショービズ界で生きるサンディ“ が抹殺された」ということなのだけど。

あれだけ匂わせていた老人がただのミスリードで終わったのも納得いかなかった。
ホラー表現もジャンプスケアが数カ所あるのみで拍子抜けだったけれど、多分核はそこじゃない。
ボーイフレンド的な存在のジョンも、優しいんだけど、優しい以外にアイデンティティが無い。優しさを振り撒くだけのキャラ。

サンディはサンディで、夢を追いかけたけれど性的搾取の被害に遭って夢を諦めた歴史の負の遺産としてのキャラクター以上の中身が無いように感じた(彼女の美貌や歌声は一見の価値アリだけど、そういう役者のポテンシャルに依る部分以外のこと)。アニャファンのためのファンムービーの域を出ていない....。
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