明かりの戻った館内に拍手が起こらない事を不思議に思うほど、極上の構成に唸って笑って驚いて楽しんだ。溢れる批評に違わぬ傑作。
…だが、観客がラストを上手く咀嚼出来ないと、現代を生きる人々が考えるべき事の真逆を囁く悪魔の様な映画だと捉える事も出来てしまう。
格差や分断を用いて「社会」を皮肉に描いていながら、それ以上に「個人」が自らの境遇や劣等感を如何に克服するかの心情を追うのが大切な映画だ。
正直、自分も危うく解釈を間違える所だった。
その間違いに気づかせる事すら狙いだったというのは考え過ぎか。
折角エンターテインメントとして大いに楽しい映画なので砕けた言葉で説明するが、例えば「リア充と非リア充」は永遠に分かり合えない。
持つ者と持たざる者の分断はどんな社会でも決して避けられない。
だがそれは相互理解を阻んだり、拒んだりする理由にはならない。
何故なら、リア充も非リア充も共に人知れぬ苦悩を抱えた個人であり、つまらない言葉でカテゴライズさえしなければ分断そのものも存在しないからだ。
富裕層だの貧困層だの。
格差間の無理解に視野を狭めて社会に心を呑まれてしまう事で、個人を見つめる視点を放棄してしまった末路を描くのがこの映画だ…と、社会への皮肉だけに目を奪われると見えてしまう。
そこでこの素晴らしいラストが作用する。
うっかり社会的な問題に絞って見ていた物語が、個人の問題を描く物語だと気付かされた時の、失っていた視野を取り戻す様な清々しさ。
こんなに大切な事を、こんなに楽しみながら気付かせてくれる映画は滅多に無い。