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パラサイト 半地下の家族のKのネタバレレビュー・内容・結末

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

本作ほど鑑賞直後にもう一度観たくなる作品はそうない。それほど伏線の張り方が素晴らしい。

本作は韓国の格差社会をそのまま映し出している。

以下自分なりに解釈を述べていく。

①水石
ギウはエリート大学生の友人から貰った水石を常に抱えている。

この石は富裕層である友人の家にあったもので貧困層のギウの家庭には似つかわしくないものである。

つまり石は富裕層のメタファーであり、ギウが終始石に執着しているのも富裕層への憧れが強い故である。

結局水石は川へと戻され、"あるべき所"へと還される。

それと同じようにギウらも半地下へと戻ることとなり、結局貧困層にとってはそこがあるべき場所であることが分かる。

そしてなによりも怖いのが、貧困層の人々が現状の暮らしに順応してしまう点にある。

人は最悪の状況に追い込まれ絶望しても、時間が経ち、"慣れ"がきたら、絶望を絶望と思わなくなり結局そこから抜け出せることもない。

ラストシーンでギウが富裕層へと返り咲くのが結局妄想であったことのように、彼らが現状を打破することはない。

②下から上、上から下
本作は人物関係だけでなく物質的な"上下"関係がやたらと強調されている。

ギウ宅へは長い階段を下る必要があり、富裕層宅へには長い坂道を登って行かないと辿り着けない。

"上"と"下"の格差が韓国の現代社会をそのまま描写している。

また①でも述べたように、"下"のものがいくら努力しようと"上"に這い上がることができないことが分かる。

実際にギウら家族は家庭教師として人に勉強を教えられる程の知識があり、証明書を偽造できるほどの技術があり、彼らはそれなりのスペックを持ち合わせているのである。

富裕層宅の地下で4年暮らしていた男(※以下4年男)の部屋にも法律書などの分厚い本が並び、それなりに努力した形跡が見られる。

だが結局上には上がれず下のままで、努力だけではどうにもならない程理不尽で厳しい社会がそこにはある。

③無関心
本作を鑑賞した人なら分かると思うが、富裕層宅の人々(特に妻)はかなり鈍感でギウらが忍び混んでいることに全く気付かず、ギウらが机の下に隠れているとも知らずに旦那とイチャつく有様である。

彼らの関心は自らを着飾る上辺だけの物質的なものばかりで、貧困層のことなど見向きもしない。

しかしそこには悪意はなく、潜在的に刷り込まれた意識があるのが分かる。

ギウが富裕層宅の娘に"自分がこの家に馴染んでいるか否か"という質問をした際もあからさまに目を泳がせ、歯切れの悪い返答をしている。

表面的には同じ人として接しているが自分達と貧困層では確かな"線"があり、無意識のうちに見下しているのが分かる。

④性欲
③で述べたように本作では富裕層のイチャコラシーンが存在するが、それは貧困層への無関心だけでなく、人としての本性を表している。

4年男の部屋のベッドの脇にもコンドームがあり、それをわざわざアップで映すシーンがある。

つまり上の人間だろうが下の人間であろうが、男女の営みだけは同様に行い、どれだけ取り繕うがその欲は平等に持ち合わせていることが分かる。

⑤貧困層にあり富裕層にないもの
富裕層は物質的にはなに不自由なく生活できているものの、子どもへの教育は結局他人任せで、年ごろの娘であることを差し引いても親娘の会話は少なく、なにか心にくるような愛情が注がれているような描写はない。

その一方でギウ一家は富裕層宅に寄生するという不純な目的ではあるが、各々が自らの役目を全うし、助け合い、生きている。

そこには確かな家族の絆があり、物資的には満足していないからこそ、より価値がありお金では決して買えない存在であることが分かる。

以上5項目に分けて述べたが、"長男のインディアンのコスプレ"や"モールス信号"といった、挙げればキリがないほどの細かな描写も、本作を緻密で高密度な映画として仕上げている。

本作の良さは、受け手側が自由に解釈をして考察の幅を広げられる所にある。

本作に限らず、カルト的な人気を博する映画は共通して、深いメッセージ性があり、その解釈を巡って他人とあーでもないこーでもないと考察し合える深みがある。

映画を観終わった後でも人々と語り合える。

持論だが、これこそ映画の究極の楽しみ方ではないだろうか。
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