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罪の声のしおえもんGoGoのネタバレレビュー・内容・結末

罪の声(2020年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

原作既読。

私は未解決事件も含めて事件系ドキュメンタリーなどが好きだ。
当然のようにグリコ森永事件も興味を持っているが、私がまさにこの事件を娯楽として消費している時に、原作者の塩田武士氏は声を使われた子供達に思いを馳せていたという所に、人として恥じ入るような気持ちになった。
私にとっては、そして恐らく世間の多くの人にとってもあの事件で使われた子供の声は単なる多くの謎を構成する興味深いパーツの一つに過ぎない。
でも実際にあの声の主にとっては、事件から何年経とうともネットを開けば音声ファイルがあり、定期的に振り返り特番があり、自分の声が犯罪の一部として消費されていくのはどんな気持ちなのだろうか。

ストーリーとしては原作にほぼ忠実に、声を使われたテーラーの曽根と、新聞記者阿久津がそれぞれに事件を追い、途中からバディを組んで真実にたどり着く。この工程はやっぱりとても面白い。これが真相なのではないかと思える程だ。若干サクサク行き過ぎなような気もするが「あの事件で声を使われた子供」が目の前に表れたら口を開いてしまうのも、その意味合いの重さや切実さに改めて気づく部分があるからだろう。

同じ「事件で声を使われた子供」と言っても、曽根と生島の子供達の間には天と地の開きがある。
生島の子供達の不幸は声を使われたことでは無く、親が犯罪を犯した事に起因する。「我が子を犯罪に巻き込むのをためらわない親」と言う意味では同じ根っこではあるが、仮に声を使われていなかったとしても彼らはやっぱり不幸になっていたのだ。だから恵が「このテープのせいでもう人生終わり」と泣いていたのは違うだろう。その父親だからだ。

だから声を使われた子供として、今更トラブルに巻き込まれるかもしれない不安、得体のしれない過去があったモヤモヤ、知らぬ間に犯罪に加担していた居心地の悪さから真相を探っていた曽根が、聡一郎に「あなたはどんな人生でしたか?」と聞かれて言葉に詰まるシーンがとてもやるせなかったし、今まで幸せに生きてきたことが後ろめたい事であるかのように落ち込むのも悲しい。曽根も憤っていい立場なのに。

でも聡一郎があの状況でもヤクザに落ちることなく、可能な限りまともに働いて生きていこうとしていた。それは自分を逃がした母親の愛情や、あの状況でも夢をあきらめずに生きようとした姉を見ていたからだと思う。
彼らの周りにまともな大人が居たことが多少の救いとなっている。

生島はともかく、達雄や曽根の母親はそれなりの大義や理屈があったのだろう。生島だってもっと家族に楽をさせたいとか彼なりの理由があったのかもしれない。しかしいかに自分にとっては”正義”であっても、それが犯罪だった時に周囲の人の人生をどのように歪めてしまうのか。被害者サイドと違って世間からの同情すらない中で苦しんでいる犯人家族にはスポットが当たらない。

見終わって多くの人が実際の声の子供達がその後どうしているのか考えただろう。犯罪そのものを消費するのではなく、それに巻き込まれた人達の事にも思いを馳せていきたいと思った。
幸せであって欲しい。

その他
・役者さんは皆良かった。特に星野源の真面目な普通の人っぽさがとても合っている。きちんとした清潔感のある上質な服は誠実さも感じさせられるので身だしなみは大事だな。
・小栗旬が取れかけた袖のボタンをブチっとちぎり、「何てことを…」という目で見ている曽根のシーンが好き。
・宇崎竜童と梶芽衣子の「昔 学生闘争やってました」感
・梶芽衣子は絶対闘争の女神とか呼ばれてただろう
・聡一郎役の宇野祥平も素晴らしい。母親と再会して真っ先に「置いていってゴメン」と何度も謝るのにもらい泣き
・聡一郎から最初話を聞いた時、分厚いメガネのレンズの側面が汚れているディテールのこだわり
・恵の同級生と担任の先生もずっと胸の奥に重い塊があったのだろうし、それを吐き出せただけでも少し心が軽くなりそう
・新聞社の上司の松重豊と古舘寛治がいい味を出していた
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