風に立つライオン

ミッドウェイの風に立つライオンのレビュー・感想・評価

ミッドウェイ(2019年製作の映画)
3.7
 2019年制作のローランド・エメリッヒ監督による戦争映画である。
 日米における第二次世界大戦の分水嶺となるミッドウェイ海戦を描いている。

 何はともあれ昔から日米戦映画では日本人サイドの役者に怪しげな日本語を使うキャストが登場し閉口したものであるが、本編は本物の日本人でまずは一安心である。

 冒頭から真珠湾攻撃で一山作っているが、確かにCGによる映像のダイナミズムは凄いの一言。

 続くジミー・ドゥーリットル隊B-25 16機による日本本土初空襲エピソードが語られる。
 この時点でのアメリカ軍は劣勢に立たされており、日本にまずは一撃を報いたい一途での無謀な作戦であったのは間違いない。
 猛将ハルゼー提督指揮下にあって志願者を募り燃料も持つかどうかわからない直行爆撃で爆撃後は中国大陸にうまくいけば不時着というアメリカにしては決死の作戦であり、勇気が無ければ出来る業ではない。
 この時、B-25が川崎などの京浜工業地域を爆撃している模様を上空から飛行機で視察中であった東條英機が目撃している。
 日本本土初の空襲を目の当たりにし相当なショックを覚えたという。

 そして中盤からテーマのミッドウェイ海戦へと進んでいく。
 これまでどの映画でも描かれているが、日本の主力艦隊が次にミッドウェイを攻略してくることをアメリカ側が暗号解読によりあらかじめ見抜いていたシークエンスが語られる。
 端的に言えばアメリカの情報戦の勝利が海戦の結果につながっていると言っていい。
 有名なエピソードとして、日本が電文で次のターゲットは「AF」と暗号でしきりとやり取りしていることから、アメリカ側がわざとミッドウェイ島の守備隊に真水が無くなったので補給を要請する無線を平電文で打たせる。
 するとこれを傍受した日本側が暗号電文でアメリカ側は「AF」で水不足と発信したことから間違いなくミッドウェイにやって来ると悟る。どちらかというとトンチに近いがまんまとやられたのである。
 ドイツのようにエニグマ暗号機でも使用していれば悟られはしなかったかもしれない。

 ところでミッドウェイ海戦で最も有名なエピソードはアメリカ軍空母の索敵が遅れたことによる空母艦載機に装着する爆弾を雷装から陸用爆装へ兵装転換し、30分後に再び雷装に戻すという優柔不断な判断を南雲中将がしでかしたことによって敵艦載機ドーントレスの奇襲攻撃を許したことであった。
 後日の軍事検証によりミッドウェイ島攻略に向かう南雲艦隊が島攻略なのかアメリカ空母を中心とした艦船撃破が目的なのか戦略上の大義がはっきりとしていなかった点も挙げられている。  
 
 臨機応変に現場が判断するのはいいが、構えが広すぎた感は否めない。本件は歴史的にはひたすら南雲中将の判断ミスがクローズアップされているが、大艦巨砲主義時代の猛者である南雲を航空戦力主体の艦隊司令官に据えた人事にも間違いがあったと言われている。
 むしろ第二航空戦隊の山口多聞司令官の方が適任であったろう。とは言え当時の軍務ヒエラルキーは頑なであり、山本五十六と言えどもそう簡単にひっくり返せないものがあった。
 結果論になるがこの時アメリカ艦隊の指揮を執っていたのは皮膚病にかかっていたハルゼーの代行のスプルーアンス少将で艦隊屋であって航空屋でない分、日本に優柔不断さがなければあわよくばであったろう。

 ところで30年程前のことになるが、仕事絡みで空母「飛龍」の砲術士官(当時少尉)であった米玉利静(ヨネダマリ シズカ)氏とお会いしお話しを聞く機会を得た。
 彼は復員後警察予備隊を経て自衛官となり退職して当時自動車学校の校長を務められていた。
話を聞いて驚いたことに、彼は真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦までを空母「飛龍」に乗船しており、全てをリアルタイムで体験した人物でミッドウェイでは九死に一生、洋上漂うこと8時間後に駆逐艦に救助された経験の持ち主であった。
 以下は米玉利氏の回想である。

 真珠湾攻撃の時は単冠(ヒトカップ)湾に飛龍が最後のほうに入湾し、その際、こんなに大艦隊が集まって何事かと思ったが出港後北へ進路を取ってから士官だけ集められ真珠湾攻撃を下命された。
 その時は各員命を賭してやり抜く気概で満たされていた。
 南下が始まって12月8日朝白む頃から艦を風上に向け波ががぶる中を各機が発艦した。ゼロ戦、艦爆機など350機近くが出撃し、28機が未帰還となったが自分が最も恐ろしかったのは、アメリカの報復追撃隊がいつ攻撃してくるかと緊張しながらの帰路であったと述懐している。
 そしてミッドウェイ海戦では他の空母である「赤城」、「蒼龍」、「加賀」が撃破された後、「飛龍」は加来艦長の巧みな回避操舵により敵機の爆撃をかわしながら、他の空母の艦載機を一手に収容、爆装後再発艦させ敵空母ヨークタウンとエンタープライズに大打撃を与えたが、撃沈まではかなわなかった。
 そしてとうとう「飛龍」も爆撃で炎上を始める。山口司令官と加来艦長は「飛龍」と共に自沈する決意で水盃を交わした後、皆に別れを告げ総員退艦を命じた。
 米玉利少尉は是非とも一緒に退艦をと促したが「まだ戦いは続く。君ら若い兵に後を頼む」と言って艦橋に上がって行き、「飛竜」と共に散華された。
 このシーンは映画でも描かれていた。

 その時に直ぐ横に直撃弾が落ち洋上へ投げ出されたのである。海に漂うこと8時間はサメとの戦いで多くがやられたと振り返る。

 
 こうして真珠湾からミッドウェイまでの生き証人の貴重な話を聞くことが出来たのである。
 それがご縁でその後何回か講演会を企画開催し、80歳を超えるご高齢でありながら積極的に語り部を務めていただき感謝に耐えない思いがある。今ご存命であれば100歳はゆうに超えられている。

 映画では途中、日本軍が洋上のアメリカ軍捕虜を捕まえて情報を吐かないからと錨に繋いで海に落とすシークエンスがあるがこれはないと思う。日本海軍はイギリス様式を取り入れ、士官以上は国際法にも精通しており、武士の情けの精神を持ち合わせていたはずでどこぞの海賊じゃあるまいし勘弁してもらいたいと思った次第である。
 中国資本が入った映画であり、こんなところにも抗日を滲ませてくるのは辛いものがある。

 映画を観ていると空母「飛龍」で機関砲を撃ってるのは米玉利氏なのかと思うと感慨ひとしおでウルウル込み上げるものしきりである。