ホイットモア大統領

シン・ウルトラマンのホイットモア大統領のレビュー・感想・評価

シン・ウルトラマン(2022年製作の映画)
3.0
※俺の心のランボーがアフガンしてるので、本作が好きな方は回避推奨です…

IMAX版で鑑賞。

ナシ派。

幼少期はウルトラマンで育ち、以降昭和シリーズはほぼ全て、最近のものは '12年製作の映画まで見てるし、主題歌大全集を持ってるぐらいにはガチ勢だと思う。

個人的にリメイクやリブートは大いに結構だし、質を上げたり現代にそぐう形での改変はやるべきだと思う。しかし、作品のテーマや本質は変えるべきではないとも思う。

根本的な問題として、 “光の国” がああいう立ち位置なのが本当に納得いかん。

円谷英二さんは当時、「大切なことは、ウルトラマンは子どもたちに夢を見てもらうんだよ」と語ったらしいが、奇しくも “NATOに加盟しようとするウクライナを止めんとするロシア” と似た構図が本作でも出来上がってしまっており、円谷さんが本作を観たらどう思うのだろうか…

キャラクターに関しても記号的に配置されてるだけ。

子供が逃げ遅れる → 斎藤工が助けに行く、のくだりも、“子供が1人だけ逃げ遅れていた” ことは100歩譲ったとして、なぜあの危機的状況で指示を出す側である禍特対の1人が戦線を離脱するのか?理解に苦しむ。
そして、ウルトラマンはなぜあのタイミングでの登場なのか…全てが “結果ありきの過程” になっており、物語の説得力がまるで無い。

そのせいで中盤まで、神永さんは “最初からウルトラマンとして地球に潜伏していた人” だと勘違いしていて、その流れから公安の昔の同僚=セブンのサプライズだと期待していた。むしろ1番活躍してたの彼だよね?笑

というより、「本当にウルトラマンが来る前の禍威獣はこいつらが倒したのか?」と勘繰ってしまうぐらいに禍特対が活躍しない。
昔みたいに戦闘機に乗って戦え!とは言わないが、せめて正体や弱点を特定するとか、悪巧みを暴くとか、ウルトラマンの戦闘の補助をするとかしてくれよ…

片や昭和シリーズでは、マン、タロウ、レオ、80の最終回は、隊や子供たちがウルトラマンの力を借りずに苦難を乗り越え脅威を退ける、といった話が展開される。
加えて帰マンにもエースにも、結果としてウルトラマンが倒すものの、人類の力のみで戦おうとする話がある。

つまり、当時のウルトラマンという存在は、“シン=神” ではなく “希望(の象徴)” であり、宇宙人とはいえ我々と同じ人間として描かれていたように思う。それに関しては本作でも、終盤に神永さんの口から語られていた。
頼るだけでなく、その頑張りを見て我々も頑張ろうと思わせてくれる存在なのだ。

なのに、だ。

本作のクライマックスの選択(人類の叡智の結集)は、西島さんは「許可できない」とも、ウルトラマンは「使い方は君たちに任せる」とも言っていたし、人類:「いやでもこれはダメだ!」→ ウルトラマン:密かにそれを実行する…という展開だったならわかるんだけど、ドヤ顔でキメる “頼りきりのあの案” のどこに “希望” を感じればよかったんだ???

そもそもそのウルトラマン自体、人間に協力し続ける動機が不明過ぎる。

キャッチコピーにもなっているあの台詞、及び問答は、オリジナルのTV版でもほぼ同じ構図で存在する。
しかし、元が39話分の人類との触れ合い、交流があった上での台詞なのに対し、本作は(恐らく)数日の付き合いで放った台詞。

しかも、そのほとんどは禍特対と行動を共にしてないし、それ以外の人間との触れ合い描写もほぼ無い。文献を読み漁ってはいたが、机上の知識だけで人類の歴史を知ると、むしろ敵対側になるんじゃないかな…
ということで、ここでもオリジナルに即した “結果ありきの過程” が見てとれる気がした。

一方の怪獣(禍威獣)・星人も、ネロンガとガボラは山間部、四足歩行という点で、ザラブとメフィラスは話がほぼ被ってしまっており、ゴモラやレッドキング、ダダ等、人気怪獣・星人を削ってこれ?という感じ。
ならもっと、禍特対とのやり取りや活躍を作った方が良かっただろと思ってしまう。というかザラブとメフィラスに至っては造形も好きではない。何だあのヒョロヒョロ。

その中でも、特に憤りを感じたのはゼットン。

生物なのか無機物なのかわからない造形なのに “宇宙恐竜”、しかも手から一兆度の火球を飛ばし、ウルトラマンより強い…という設定だからこそ、魅力と浪漫溢れるキャラクターなわけで、エヴァの使徒もどきにされてフワフワしてても、全然興奮も畏怖もせんのよね。
これに関してはメフィラスがラスボスでも良かったと思うな。こっちの戦いの方がオリジナルのゼットン戦ぽかったし笑

というか庵野=エヴァにしかならないのであれば、それはエヴァの派生作品やオリジナル作品でやって欲しいし、流石に何でもかんでも私物化するのには辟易する。
樋口監督も『進撃の巨人』で非難轟々だったからか、はたまた制作側の指示かはわからないけど、庵野の真似事をするんじゃなくて、もっと自分の色を出してほしかったな。

でも、『シン・ゴジラ』には “希望” を感じたから、やっぱり監督の力量の問題なのだろうか…

あと、パロディとオマージュは違うし、わざわざニッチな小ネタを入れて改変するのは愛ではなく、マウントを取っているだけだと俺は思います。

と、ここまで散々こき下ろしてきて言うのもなんだけど、全くつまらない!!というわけでもない笑笑

一応112分飽きずに観れるし、語り草になった山本耕史さん演じる、どこか人間臭いメフィラス星人ももちろん良かった!「割り勘」てところにしたたかさを感じたし笑
一部で炎上した?長澤まさみの一連のアクションは、俺的にはそんなにノイズにはならなかったし(何ならアニメみたいな台詞回しの方が気になった)、田中哲司さんの交渉や上司ぶりはサラリーマンとして見習うべきものがありました笑

OPのサプライズ(?)演出はもちろん(何ならここがテンションの最高潮だったかも笑)、ザラブ戦における変身と音楽の使い方や、メフィラス戦のロック調のBGMも最高だったと思う。

…等々、良い面もあるからこそ、余計に勿体無いなあと感じてしまった。
そしてここまで思ってしまうのは、ガチ勢ということ以外にも、この人たちが大傑作特撮の『平成ガメラ』シリーズを経てきてるから、ということもあると思う。ただ、あちらの脚本は伊藤和典さんなので、伊藤さんだったら…というタラレバは禁句ですよね笑

本作は何でも三部作らしく、俺の怒りのアフガンの部分がこの後伏線として回収されるのかもしれないけど、やはり一本の映画としてはダメ。
それ以上に、子供が本作を観て “夢” と “希望” を抱けるのだろうか?

これで「いや、抱けます。」という子が多数なら、俺は大人なのでちゃんとごめんなさいします!!!笑