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マーティン・エデンのumisodachiのレビュー・感想・評価

マーティン・エデン(2019年製作の映画)
3.8


原作はジャック・ロンドンの自伝的作品。舞台をアメリカからイタリアに移して映画化。

労働階級の貧しい船乗りマーティン・エデンは、ブルジョワジーの青年を助けたことで彼の邸宅に招待される。そこで出会った青年の姉エレナに一目で心惹かれたマーティンは、彼女と同じような知性を身に着けたいと必死に本を読み漁るようになる。次第に「自分も作家になりたい」と思うようになったマーティン。しかしエレナの理解はなかなか得られないし、書いたものもまったく評価されない日々が続き困窮を極めていく……。

原作未読。労働者階級の青年がのしあがる大河ロマンなのかな?と軽い気持ちで観に行ったら全然ちがった。格差と芸術と孤独についての根源的な叙事詩だった。

原作は100年以上前に書かれたものだが、本作は時代設定を敢えて曖昧にしている。さすがに現代だとは思えないものの、せいぜい第二次世界大戦前くらいに見える感じで作られている(と私は感じた)。なんとなく現代と地続きの空気を孕ませることによって、本作が現代社会にも十分に響くものだという点を強調しているようだ。

というのも、マーティンが陥る苦悩は非常に現代的なのだ。中産階級に憧れて知自分もブルジョワジーの仲間入りをしようと思ったものの、
知性が高まれば高まるほど金持ちの欺瞞に気付いてしまうマーティン。マスコミは彼の行動の一部を切り取って勝手なイメージを演出し、世間はそれに踊らされて本当のマーティンを知ろうともしない。大衆は有名になったマーティンを挑発し、揚げ足を取ってやろうと手ぐすねを引く。SNSが蔓延した今の社会と全く同じではないか!

中産階級の欺瞞に気付いたマーティンは、もはやエレンを純粋に愛した頃には戻れない。だからといって、労働者階級にも戻れない。死ぬ気で知識と教養を身に着けたマーティンからすると、彼らがあまりにも無気力に見えるからだ。マーティンが社会主義的方向に行くのは必然だったが、だからといって労働者のために全力で戦えるかというとそれは違う。もう船乗りだったあの頃の自分には戻れないのだ。彼は現実を分析して鋭く問いかけることはできるか、自分自身の孤独と苦悩を解きほぐすことはできない。エレンという幻想に憧れて苦労に苦労を重ねた結果、マーティンは誰をも超越した知性を手に入れたと同時に、どこにも属すことができなくなってしまった。

【以下ネタバレ】





マーティンを愛しているといいながら、徹頭徹尾ブルジョワジー思考を貫いたエレン。彼女こそ欺瞞の象徴だった。マーティンの書いた作品を「暗すぎる。労働者にはもっと夢を見せてあげないと」(うろ覚え)と評したエレンに、マーティンは労働者のリアルを見せて回る。社会主義者の代表だと新聞に書かれたマーティンを拒絶し、作家の夢など早く諦めろと言うエレン。

最初からマーティンを下に見て「可哀想な彼を私が救ってあげる」という態度を崩さなかったエレンやエレンの家族と、友人となったブリッセンデンや彼に手を差し伸べたマリアは対称的だった。マーティンがどんなに苦しみ困窮しても、芸術を追求し続けることを彼らは決して否定しなかった。それぞれのキャラクターの生き様がハッキリと描かれていることにより、説明的セリフを排除した本作の輪郭が浮き上がってくる。

時折差し挟まれる過去映像のようなものも、マーティンの幼少期なのかマーティンの作品世界なのかよくわからない。マーティンの考え方は詩や演説という形で現れるので、作品テーマもわかりやすくは提示されない。それに、階級による言葉の違いも大きい要素になっているはずだが、イタリア語がわからない私にはなんとなくしかわからない。(服装の変化がかなり雄弁に階級の差やマーティンの意識の変化を表していたのも印象的だった)

それでも、マーティンの絶望的な孤独と怒りは十分に伝わってきた。成功したマーティンの元にやってきたエレンには本気で腹が立ったし、「父と母を捨ててもいい」と口では言いながら、実は母親と来ていたのを見た時には失望した。人生を賭けて愛した「エレン」など、本当はどこにもいなかったのだ。

知性、教養、芸術、格差、大衆、マスコミ……そして孤独。「1人の男の人生」と呼ぶにはあまりに多くのテーマがぎっしりと詰まった映画だった。それに、主演のルカ・マリネッリの一生ものの名演にも目を見張るものがある。原作も読んでみようかな。



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