マックスビルは美大受験する以前の美術予備校に在籍してた頃から日本では他国に比べ「神格化」していたのは会話の節々から実感していた。ユンハンスの腕時計なんかビルのデザインだし知らない人おるんかな。書籍も特集雑誌も沢山本棚にあるが、本作の語り部である40歳年下の伴侶アンゲラによってプライベートを共にした彼女の視点を中心にビルの人柄が描き出され、美術史家という彼女の専門性によって作品資料や記録映像は丹念にアーカイブ化され的確な言葉で解説されていく映像は大変貴重なドキュメンタリーである。ビルは映画の中で科学の有用性を認めつつ美的側面こそが重要であり創造の仕事に注力すべきだと主張したが合理的なデザインの在り方を求めた一派には受けられることは無かった、そのジレンマは急速に進化するAIに対して取り残される現代の私たちにも突きつけられている…
(個人的にはビルから影響を受けたカールゲルストナーの方がアルゴリズムの重要性を進化させたと言える)
藤崎圭一郎×上平崇仁トークショーメモ
上平崇仁さんは大学の時に研究した。アンゲラ美術史科の奥様にピントを当てて作られている。彫刻家としてのビル。身体からカタチを生み出していくことを大切にしていたバウハウス。数字などの絶対的なカタチからビルは生み出していた。クレーの影響強い?削ぎ落とされていくというのだけ見ると無機質だが非常に人間的。デザインとアート両方として成り立っている。五十嵐と似ている?PARCOのロゴとか。
バウハウスから学べることは社会を作っていくこと。理念から作品や道具を作ることがカタチづくり。広がりの中に真髄があるのか。循環の先だけではない。ワイマール時代はソーシャルデザイン、日本はなぜこうもつながらないのか。科学者としての美学。ビューティフルではないエレガント。多様性を認めない一元的になりがちなのも難しい。美が揺れてるところ。