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花と雨のrayconteのレビュー・感想・評価

花と雨(2019年製作の映画)
5.0
〝バタンと閉めたドアの向こう側 かけなかった優しさの言葉
最後なるなら…そればっか 最後にさよならは言えないさ〟

 誰かにとって重要であることが、誰しもにとっても重要であるとは限らない。それと同じように、僕にとってこの映画はとても特別な作品ではあるが、すべての人に当てはまるわけではないかもしれない。
だがどんな人でも、人生を一変させてしまうほどの後悔を抱く日が来る可能性がある。
 幼さゆえ、つまらないプライドゆえ、あるいは弱さゆえに、それはある日突然やってくる。
 現実を拒否し続けていても人生は流れ、目を逸らしていた分だけ雨は強く降る。
 そんな時に自分を救えるのは、自分自身と向き合うこと以外にない。
この映画、そしてSEEDAの「花と雨」はそんな人生のワンシーンを切り取った名作だ。
 ジャパニーズヒップホップの名曲を題材にした作品ではあるが、この映画が単なる「音楽映画」として見過ごされることはあまりに損失だ。

 土屋貴史監督は映画作品こそ今作が初であるものの、様々なアーティストや企業のMVやCFを手がけるクリエイターで、まさに「瞬間」を切り取る名手だといえる。
 この映画は極端に説明が省かれ、シナリオは観客の容易な感情移入を拒否する。
 一見して不親切ともいえる構造であるが、人間の心情というものはそもそも当人にしかわからないもので、赤の他人がその感情を簡単に紐解くことなどできるはずもない。
 この構造が非常に素晴らしいのは、登場人物の心情を単純に表現し人格をパズルの材料にするような蹂躙を拒否するばかりでなく、映画を観る人々が自己の経験や思想と照らし合わせてこの映画を「どう観るか」についての自由意志を尊重しているという点にある。
 
 主人公・吉田は、ロンドン育ちの帰国子女で、日本社会に馴染めず、日本に対してある種の侮蔑を持って生きている。
 USヒップホップのストリート感こそが「リアル」だと言い、日本にいながら日本語でラップすることを拒否し、日本語で歌うラッパーを見下してさえいる。つまり吉田は「今ここにいる自分」を受け入れることができていないのだ。
 確かに、ヒップホップにとって「リアル」とは不可欠な要素だ。しかし犯罪や金や女や車の自慢をするというのは「リアル」の表層的なものでしかなく、その本質は今自分が直面している現実を歌うということだ。
 そしてそれは、自分自身と向き合うことでしか生まれない。
「花と雨」にはこんな一節がある。

〝長くつぼんだ彼岸花が咲き 空が代わりに涙流した日〟

「彼岸花が咲き」というのは「姉(大事な人)の死」の比喩、そして「空が代わりに涙流した日」とは、姉の死に際して悲しみがわかない自分を示している。
 大事な人を亡くしても涙が出なかった理由とは、目の前に起こるそれを直視していなかったということ。空想や理想ばかりに逃避し、現実と向かい合うことを拒否し続けた吉田は、姉の死に際してもそこにリアリティを感じることが出来なかったのだ。
 だが、吉田は姉の部屋に残された就職活動用の履歴書を見る。
 履歴書とは、これから社会で生きるため必死で前を向こうとしている人間が作るもので、それはつまり姉の生きた証のひとつでもある。
 肌の合わない現実にも必死で向き合おうとしていた姉の痕跡を見た吉田は、そこで初めて逃げ続けていた自分を受け入れ、ようやく姉の死に涙する。
 向き合い、受け入れること。おそらくそれは、誰しもの人生において最も重要なことなのではないかと思う。
 それらがとても大切に繊細に描かれている点こそ、この映画が「音楽映画」の枠を超えてすべての人に観られるべき作品だと思う所以だ。
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