Azuという名のブシェミ夫人

情事のAzuという名のブシェミ夫人のレビュー・感想・評価

情事(1960年製作の映画)
4.0
ミケランジェロ・アントニオーニ監督『愛の不毛三部作』の第一作目。
私は順番どおりではなく、先に『太陽はひとりぼっち』を観てしまったけれど、その時に一目惚れしたモニカ・ヴィッティが今作もとても美しい。
まさにクールビューティーで、涼しげな流し目がとても素敵な女優さん。
そして『愛の不毛』とは良く言ったもので(無論全ての愛が不毛ではないのだけれど)なんともアンニュイな気持ちにさせられるのです。
女『男って…あぁどうしてこうなんだろう』とか男『まったく女ってやつは…(溜め息)』みたいなのが作品の空気中を漂っては消えていく。
私自身『女に生まれて良かった』と思う時と『女ってなんて面倒くさいんだろう』と思う時とがあって、それって結構多くの人が一度は胸に去来したことのある感情ではないかと。
そういった感覚をアントニオーニ監督は男性なのに凄く熟知しているんですよね。
もしかしたら監督自身、そういう女性の気まぐれで痛い目をみてきたのかもしれませんが・・・?

人と人との間合い、空間の撮り方が印象的。
人のフレームアウト、フレームインをドアの開閉や建築物の構造で上手く切り替えていますね。
景色も人も建築も、モノクロであることが気にならない程全てが美しいです。
むしろモノクロだからこそ際立っていると言えるでしょうか。

アンナの行方が分からない事、それ自体にこの作品の意味がこめられている。
だからアントニオーニ監督は、観客にアンナの意思や生存を確認させたりなんてしない。
失ったのではなく、ただ見失っているだけ。
だからクラウディアとサンドロは、アンナとの完全な“別離”を出来ないままでいる。
不完全な喪失に心を囚われてしまう。
あの島から戻ってはきたものの、彼らの錨は今もあの海に降ろされており、心の重心を置いてきたままなのでしょう。
クラウディアとサンドロを繋ぐ共通項は、常にアンナという存在。
二人がいくら罪悪感や後ろめたさを捨てたと思いこんでも、それは虚構に過ぎないのかもしれません。
人によっては『は???』っとなるラストだとは思いますが、私は妙に納得したのでした。