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メリー・コルヴィンの瞳の創のレビュー・感想・評価

メリー・コルヴィンの瞳(2018年製作の映画)
4.0
娯楽としては重すぎて全然面白くない。
映画の役割は娯楽だけじゃ無いことを嫌でも思い出す。

彼女をはっきり認識したのはその死を知らせるニュースだったと思う。
あぁ。あの眼帯の。と思ったのだけど、なぜ自分が彼女をあの眼帯の人として認識していたのかが思い出せない。

彼女が亡くなったとき、まだ自己責任論の記憶が生々しく、社会全体の中でその役割はとてつもなく大きいけどそこに挑む事に尊敬はできても共感はできず、すごく複雑な気持ちになったのを覚えてる。

本人の映像も出てくるけど彼らも我々も画面の内外で彼女のいない圧倒的な空白を受け止めきれていない感じはある。

ひとつひとつがすごくドラマチックな出来事に思えるのだけど、それは彼らが現地で足で稼いで紡いだ真実と物語だからかもしれない。

というか、世界は真実と物語で溢れていて、そこにはもちろん喜劇と悲劇の両方があってそれは時に残酷な差異ではあるのだけど、
そもそも我々が外からなんらかの真実と物語を知るためには中に入り語り手となる外部の誰かの力が必要なんだと思う。
そしてその喜劇性や悲劇性は時代と共にどちらに分類されるかすら変わるようなそんな紡ぎ方伝え方、言い換えれば見た側にも様々な解釈や推測や希望をもたらすような、
できうる限り多くの材料を整理して公正に残すのがジャーナリズムの役割存在意義なのかも。

事件が起きたら現場に行くのではなくモニターに張り付いて誰かが動画を上げてないか探す。
これはジャーナリズムなのかはやっぱりよく分からなくなった。

今彼の地で起きている出来事を我々はほぼリアルタイムで苦労なく、ソファにもたれてベッドで寝そべり知ることができる。
プロの手を介さない物語をどう解釈するか、我々はまさに今、試されているのかもしれない。
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