海

わたしの叔父さんの海のレビュー・感想・評価

わたしの叔父さん(2019年製作の映画)
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からっぽの心だから、あなただけが満ちていく。それがかなしいこととか、さみしいこととか、足りていないとか、たえまないはずの欲望とか、かわき、わたしが目をそらしている本当のわたしのすがたとか、誰の言葉もすい込めないこの心はそれでも時には苛立ち、きまって暫く経つとひたと風はやみ、静まる。自分のための人生っていうのは理想でしょ、と言ったのは、久しぶりに会った友達だった。淋しいのに変わりはないでしょ。本当はいつも人より優れていたいし、優越していたいのに。早く結婚して家庭を持ちたい。そうはっきり言う彼女を見ながら、こんな子だったっけ、とすごく遠い、名前も知らない相手みたいに感じた。わたしはこの子にとって、一生見下せる存在なんだろうかと、埃の浮かんだコップの中身を眺めながら思った。もう会うことはないかもしれない。けれどそうさせてるのはたぶん彼女でもわたしでもない。この子がわたしの言う理想や夢をもしも肯定したとして、それが本心じゃないのはすぐ見破ってしまうだろうし、わたしの思う正しさを、誰かに理解されることがたぶんわたしは、おそろしいのだとも思う。変わったねと言うと、大人になったんだよと笑ってみせる顔は、寂しげに見えたよ。午後、喫茶店の中は気持ち悪いほど静かだった。怒りも嫉妬も、焦りさえなく、そのことに、ほんのすこし焦るんだよね。今までも、何回もこんな日があったけど、何回でも、どうしたらいいのかわからなくなる。さみしさはときどき、漠然としすぎていて、夜の個室じゃなく、昼の街中みたいな温度であらわれる。だからすぐには気づけない。落としてきた感情と、知ってしまった感情について考える。時間の流れるのも忘れて仕事をしているとき、高速道路を走る車や遠くのホテルの灯りを見ているとき、肌寒くて、冬がきたのを知るとき、わたしには思い出す日があって、思い出すひとが居て、本気で、本心で、帰りたいとおもう場所がある。好きなように動けばいいのにと、誰よりもわたしが一番わたしに言いたい。心から望むことと、そのために何もかもを捨ててゆくことが違うのは、どうしてだろう。わたしがしたいことと、わたしができることは、どうしていつも違うんだろう。つながりそうなものが、つながらないことばかり。それをわかってるの。となりで赤信号を見つめている、そのひとを見ながら、わたしが行きたいと言えば、彼はどこへでも連れていってくれるだろうと思った。そういうところが、死ぬほど好きだったし、死ぬほど怖くてたまらなかった。言葉で言い表せるとしても、言葉にしたら終わるいろんなもの。かたちに残すべきじゃないもの。なぜここにいるの?わたしが、あなたが、選んだ場所だからでしょ。優越感も、数字で表せる幸福感も、いらないんだ、もう。あなたを連れていけるのは、そんなくだらないものなんかじゃない。わたしがここにいるということ、その退屈に、苦しみに、ほかの誰よりもわたしが浸っていて、自分の唇からこぼれる言葉の意味も、建前も本音も、自分が一番理解しているから痛む。誰かのつくった言葉で、息が詰まるほど便利なばかりの言葉で、言いくるめてしまえば、いままでのすべてが、きっと簡単に終わる
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