ろ

鬼火のろのレビュー・感想・評価

鬼火(1963年製作の映画)
5.0

「君にはまだなんとなく不安があるのかい?」
「なんとなくではなく、これは永遠に消えない不安なんです」

外階段の踊り場から飛び降りるとかハサミで胸を一突きするとか、前はもっと”死にたい”が具体的で、死ぬことなんて簡単にイメージできた。むしろそういう衝動を抑える方が難しく、ペンや携帯や部屋中のものを手当たり次第壁に投げつけることでなんとかやり過ごしていた。
それに比べて今はゆるやかな絶望がだらだらと続いている。衝動もイメージも湧かない代わりに何にも心を動かされない。ただただ虚しくつらい。

サイドデスクのライターに手を伸ばすと、真珠のネックレスがするりと引き出しに流れ落ちる。そんなふうに指の間から人生が零れていくような脆さ儚さも、映画にすれば素敵に見える。これだから映画って救いだなと思う。

「人生に再び戻る気があまりしないんだよ。臆病だと思うかい?」
「いいえ、あなたは不幸だと思うわ」

もう君は元気になったんだから退院できるだろうと病院を追われ、旧友や仲間たち、かつて好きだった女性を訪ねてパリをめぐる。
ベッドの上で、散歩をしながら、昼夜アランは想いを打ち明ける。
「僕は酒を飲みながら何かを待ち始めた。ある日、待つことが虚しくなった。女を、金を、行動を待つことすべてが」
「君は”平凡でいること”に辛抱したらどうだ。失った幻影はまた見つかる。君は臆病で弱気で怠け者だ。確信が怖くて逃げてるだけだ。太陽が目に悪いから、影に味方しようとする」

昔はこんなバカもやったよなと酒を飲みながらテラスで談笑する一方、生きていること自体が自分にとっては屈辱なんだとヤケを起こす。
誰か愛してくれ、こんな僕を受け止めてくれと懇願する一方で、誰のことも愛せない自分に絶望する。
自分を好きだと言ってくれた女たちも、自分を叱ってくれた旧友も、心配して電話をくれる仲間たちも、まるで大通りを走り去る車のようにアランをひとり取り残していく。

「時が来れば変わると思って、私たちはバカげたことをするの。こどもはつくるし情事はするし、本だって書く。自殺をしてみたり、まじめぶって下劣な仕事に精を出してみたりね」
生きる希望を見出したくて街に出た。けれど孤独は増すばかりだった。
有り余る孤独、有り余る絶望、そして虚しさが手のひらから溢れていく。
幸福なんてほど遠い。生きる死ぬを行ったり来たり、さまよううちにまた一日が終わる。

「僕は愛されたかった。僕が彼らを愛するように」


( ..)φ

かれこれ5年は恋焦がれた「鬼火」。
どうしようもなくつらくなって、取り寄せてみました。

「元気なアメリカ人女性が君の薬になるよ」という医者、殴ってやりたかった。
「私は眠ることしか信じないの」というジャンヌモロー、最高によかった。

おいしいものを食べてもその幸せは長続きしない、買い物をしてもいくら楽しいテレビ番組を観ても気分が晴れない。かといって明日死ぬ覚悟もない。自分の欲しい言葉も想いも手に入らない、手に入れたいのに遠ざけてしまうアランの葛藤と、彼を取り巻く人々とのやり取りがすごくリアルでちくりと刺されました。
ろ