ぐち

さよならテレビのぐちのネタバレレビュー・内容・結末

さよならテレビ(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

つくりとしては森達也監督の『ドキュメンタリーは嘘をつく』と全く同じなんだけど(パクリではなく構造そのものとしては奇抜な発想ではないし、森監督も本作に称賛のコメントを寄せてる)
森監督の方の作品は演出がわざとらしすぎて(多分制作側も隠そうとしていない)早々にモキュメンタリーであることが観客にわかるのに対して、本作は観客を騙すことにこそ意味がある。

ネタバラシ自体の演出はこれみよがしで過剰に感じたけど、ネタバラシの導入として志の高い派遣テレビマンのあの人に指摘させる流れは自然で、かつ意味がわかって鳥肌の立つ良い導入部分だった。

メディアリテラシーというちょっととっつきづらい内容だけど、構造のエキセントリックさや被写体の面白さ、テレビマンならではの飽きさせない演出が凝らされていて、エンタメとしても楽しめる風刺ドキュメンタリーになってて良かった。
「悪者」と「善者」を明確に分けるという手法なんていかにもワイドショー的で、そのまま視聴者へも自分たちへも皮肉になってる。

どこまでが仕込みでどこまでが本当に起こったことなのか曖昧にしたのも良かったのかな。後で人と話したら、その人が「ここまでは本当」とする線引きが全然違って興味深かった。それぐらい個人によって情報の取り扱い方が違うのも、同じ情報で別々の反応を示すのも、「本当のこと」って何だ?という疑問が浮き上がってくるのも。

私は本作の撮影中に起きた放送事故(顔出しNGの座談会で顔が出てしまったやつ)は本当に起こったことだと思ったんだけど、良く考えればあれが放送されたものではなく「そういう程で」撮影して皆に演じてもらうことだって出来るんだ。
と ふと気づいたので調べてみたらアレは本当にあった事故らしい(Twitterに2018の日付でそれについて複数投稿があった)
ここまでしてから、私は当然だと思っていた情報の真偽を疑い自分で調べるという行為を自発的に取っていることにきづいた。
まさに映画が訴えていることだ。
これだけでもこの映画に価値がある。

この事故、私もテレビに関わる端くれだからわかるんだけど、相当限界がきてる現場だなと思った…
まず複数の通行人の顔を隠すとかなら1人くらい隠し忘れるのもわかるけど、ドーンとピンで出演者が出てくるカットで顔を隠し忘れるなんてなかなか無いぞ。生放送じゃなくて収録の映像だからスイッチャーの押し間違えというわけでも無いんだから。
編集マンが相当寝てない。
そして放送前には普通プロデューサーなどの責任者が映像をチェックする機会があるけど、一度でもチェックの機会があればこんなことを見落とすはずがない。つまりスケジュールがギリギリすぎてチェックしてる暇が無い(もしくは内容のチェックはあって、顔隠しは事務的な作業だから後はやっておくという話だったのかも)

働き方改革が議題に上がるシーンがあるけど、テレビの場合は9時-5時8時間労働って時間で区切るのは有効じゃないんだよね…システムから変えないと意味がない。そしてとにかく人が足りない。でも派遣ばかりで育たない。正社員には残業させられない。
働き方改革にスタッフたちが反発するシーンがあるけど、こういうことなんだよ…この放送事故もテレビ局のシステムもほんと闇。

ただちょっと、演出的な面で気になることが多かった。
やはりテレビマンはテレビの呪いから解放されないというか、演出過剰な部分も多くてそれが少し鼻についた。
特に新人派遣社員のワタナベくんがお金を借りるシーン。
ドキュメンタリーだと思って観てた時ですら演出なのか?って疑ってしまったほどだし、ネタバラシの演出もドヤァ感溢れててうんざりしてしまった。
メインキャスターを降ろされる福島アナのアップと、福島アナ自ら企画した猫の殺処分問題の映像(猫が籠の中で悲哀の表情をしてる)をカットバックさせるのもやりすぎ。

あと新人派遣社員のワタナベくんに何でもかんでも負わせすぎなところも気になった…
確かにちょっとダメな子なんだけどさ〜〜仕事としてのテレビの問題を仕事に慣れてない新人の若い子に言ったってしょうがないでしょ…
この映画におけるワタナベくんの役割としては、まず第一に「テレビ局における派遣社員。新人教育も徹底されてるわけでもなく使えなければ即切る。育たないし派遣で人的資源を保ってる局の闇」って感じなんだろうけど、元々の能力にも疑問がある人ではどうにも説得力に欠けるし、しかしそれを新人に言ったってしょうがない。
さらに彼には愛され要素とか見せ物にして笑える要素(ここもちょっと引っ掛かった)同情させる要素、などが役割として振られてるんだけど、それ1人の人間に負わせる量じゃない。
一番描きやすい人物に役割を集中させるのは逃げだと思ってしまう。

前述のようにあえて善と悪に二分したのはわかるんだけど、「悪」の描写がほとんど無いのは、そこまで踏み込めなかった、あるいは撮れなかったのかなと思ってしまう。ストーリーラインを整理して観やすくする意図もあると思うけど(元はテレビドキュメンタリーなので尺の制限があるし)
善と悪の演出がフィクションとはいえ、もっと悪の描写だってできたのではないか。そしてそこにこそテレビの闇があるんじゃないだろうか。

とはいえ、作品を広く届けるにはそれ相応の「軽さ」と「楽しさ」が必要だ。
そういう意味では、今までテレビを疑いもしなかった人たち(今時いるか?とも思うけど、これが意外と今でも多い。驚くほど)情報を扱い慣れていない人たちへ問題意識を植え付ける導入材になったと思う。それはとても意味のあることだ。

次はぜひ真正面から闇と向き合うドキュメンタリーを期待している。
ぐち

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